たえてさくらのなかりせば

あなたに会わなければ私の心は平穏で退屈だったろうに。チクショーありがとう! という気持ちを書くところです。

感想:「レディ・バード」が引っかかった話


先月「カメラを止めるな!」という映画と「ブリグズリーベア」という映画を観た。いやー面白かった。

 

 

 

 

帰り道、一緒に観ていた友人からこういう話が出た。

「映画作りっていうストーリーの軸は似てるけど『ブリグズリーベア』はフィクションで『カメラを止めるな!』はドキュメンタリーって感じがするな」


なるほどそういう感想の表し方もあるのか、と思った私の脳裏に、別の映画が過ぎった。

どう評していいか分からず喉元に引っかかったまま数ヶ月経っていた作品を、この見方を通したらようやく消化(あるいは昇華)できるのではないか。という書き物である。

 

 

フィクションとドキュメンタリーのどちらかで分けるとするならば、『レディ・バード』は、編集の入らない「撮って出し」みたいなドキュメンタリーだ。

 

 

2002年、カリフォルニア州サクラメント
閉塞感溢れる片田舎のカトリック系高校から、
大都会ニューヨークへの大学進学を夢見る
クリスティン(自称“レディ・バード)。
高校生活最後の1年、友達や彼氏や家族について、
そして自分の将来について、
悩める17歳の少女の揺れ動く心情を
瑞々しくユーモアたっぷりに描いた超話題作が
遂に日本公開!

 

前述の友人から高評価を聞き、ふむふむとお姉さんとで観に行ったのだが、結果二人とも無言でシアターから出てきた。6月のことである。

 

しばらく言語化できず、夜ビールを片手に二人で語ってやっと「面白いとは言えなかった」という感想が出てきた。
評し方に信頼をしている友人だろうと他人は他人だ。おすすめされた作品でも当たり外れはあること、私だってこれまでの人生で経験している。つまり普段だったら「期待したけど合わなかったね~」でおしまいだったはずなのだ。

 

しかし今回は違った。自分が話している感想に納得がいかず、その日だけではなんとなく収まりがつかなかった。
つまらない作品にはそれなりのつまらない理由や批判するべき描写なんかがあるのだと思っていたけど、レディ・バードには特筆するべき理由が浮かばなかったのだ。しかも、一定票の評価を得ている作品なのに、どうしてどのシーンにも刺さらなかったのだろう?その人たちはどこを優れていると思ったんだろう?という気持ちが何日経ってもぐるぐるしていた。


今そのときの気持ちを思いだしてみると、「これを物語にする必要があったのか?」と問いたくなったんだと思う。
なぜなら、彼女の半年間を追ったお話全部を通して、物語として転結に出てくると思っていた驚きや意外性というものが見つからなかったからだ。

しかしそれは「”私にとっての”驚きや意外性」というカッコ書きを着ける必要があるのだと、最近やっと気がついた。そしてそのカッコ書きが、このお話を消化するにあたり重要な気がしたのだ。

 

  • なんで私はレディ・バードを楽しめなかったのか?(世に出ている評価と乖離して?)
  • どこが優れている点と評されているのか?

このへんを、ぐだぐだとのたまっている文章です。
(観ていること前提の文章なので、ネタバレもあるかもです)

 


この作品は、17歳の女の子の大学進学までの1年を描いている。たぶんどの国でもおんなじ、女の子の多くが経験するようなマジョリティの思春期を、丹念に写し取ってフィルムの中に落とし込んでいる。そしてその点がこの作品を作る上でのキモであり、高評価を得た起点になっているのだろうと考えた。


言い換えれば彼女の悩みは地味で、ありふれている。それだけじゃなく悩みに対しての行動が、幼くて痛々しい。
その様が、あんまりにも自分と近しくて、彼女を客観視して愛でることができない。共感ですらない。あれはきっと、同族嫌悪。
私も、あんな風に愚かにじたばたしていたことがあった。だから彼女の次にとる行動が、感情の動きが手に取るようにわかる。*1ほらね、と眉間にしわを寄せながら私は画面を眺めていた。

それくらい、”現実”っぽいように映像が作られているのだ。


特に私が「ああ現実っぽいなあ」と思ったのは、物語の主軸にも据えられている母親との関係だった。
言い争いをする内容だって、ありふれている。進路のこと、成績のこと、服装のこと。
クリスティンは母親に反発しながらも、そこから逃げ出したりはしない。それどころか、時折素直に甘えている様子もある。

進路について口げんかをしながらも一緒に古着屋でドレスを選んで、手に取った服に二人そろって感嘆する。
母親は古くて嫌い、と友達に愚痴を言って笑いながら、その母親が仕事の合間を縫ってミシンで仕立て直してくれたドレスを当たり前のように着て、彼氏のところに行く。2回も。

 

自分の望みを否定する母親を憎みながら、日々どこかでは甘えている。
実際に母親との関係への葛藤真っ最中な人間が観て嫌になるほど、クリスティンの母親への態度は、現実っぽかった。自分の中に経験として記憶していたものが、目の前にそのまま出されているようだった。
いや、クリスティンより年を重ねた他人として観ている分、経験していた以上に母親のことが見えてしまった。


この母親は娘を束縛し、どこにも行かせない親ではない。
娘がなにもかも正しいわけではない。それどころか、娘の方が幼さ故に愚かで自分勝手だ。
彼女は子供だ。母親に甘えながら反発し、都合の良いところだけ独立しようとする、殻から抜け出せない幼虫だ。
そのうち甘えていたことにあるとき気づく。気づいて、彼女は苦悩するだろう。

 

「このまま嫌うのなら、私は母親に甘えていた部分を切り捨て独立する必要がある。しかし甘えていた部分はあまりにも自分に温かく寄り添っていて、それを捨てることは耐えがたい。」

 

そしてその苦悩は一朝一夕に解決するものではなく、子供からほんのすこし成長した若者になり、若者である間にずっと付きまとう葛藤である。

 

いやあ、実に現実っぽい。現実の人間の複雑さ。
こんな描写は映画中には無く私の妄想に過ぎないが、きっとここにたどり着くだろうな、という気になる。

 

私たちが実際に築く関係性の多くは、切り捨てるという判断がすぐにはできない。社会的な人間を数年続け、最近やっとそのことを学んできた。
どちらがまっとうかという評価は、断定することが難しいこともあるし、時間に応じて流動的だ。


つまり、映画を観ているはずなのに、自分がいま暮らしている現実味を感じて、私は失望したのだと思う。この映画が面白いと感じられなかった理由はそこだ。
せめてフィクションくらい、極端であってほしいと。


彼女がいっそ、物語の中で突然ハッと目覚め、「おかあさん、わたし間違ってた!」とハグをしてカトリックの大学に行くのなら、私は指を指して笑って彼女を馬鹿にしただろう。
母親がもっと自分勝手で娘を籠の中へ閉じ込めるような振る舞いをしたのなら、私は彼女を何処までも憎み、そこから抜け出し自由になる娘を祝福しただろう。

 

ところが、『レディ・バード』ではそうはならない。クリスティンが母親に反発する理由も分かるし、一方で彼女が高望みの無茶を言っていて、それを諫めなくてはならない母親の立場が分かるところもあった。
そして彼女と母親は正面切って和解もしないし縁を切ることもしない。大学進学を機に離れて暮らすことになって、携帯で連絡を取り合いながら少しずつ距離を測っていく。これらの描写はまた”現実らしい”のだ。


フィクションなのに、ここまでリアリティのあるものに仕立てたことは脚本と監督の妙だと思う。*2
だから、この作品は当事者でない人には新鮮で、別の生き物である17歳の女の子の気持ちがしみじみと理解できるものになっていると思う。理解できるように丹念に描いたという点が、この作品が優れているという評価の根幹にあるのだと思う。


しかしだからこそ、私からしてみれば映画の終わりに至るまで意外性がなく、淡々と女子高生の半年を観せられたような気持ちになったのだ。インタビューのない、密着ドキュメンタリーのような。

 

「青春の輝きと痛みを知る
 誰もが共感して心震わせる
 これは、あなたの物語」

 

このコピーも、作品を薦める上でなんら的外れではないと、今なら思う。
人によっては、公式HPのあらすじと私の感想と、いったい何処が違うのかと思うだろう。でも個人的には対極にあるくらい違うのだ。


あらすじは正しい。しかしこれは容易に想像できるような、チークと口紅でかわいらしく飾った女の子の瑞々しい青春物語とかではなく、そばかすがはっきり見えるようなカメラで撮られた、ずるくて愚かで浅はかな子供がガンガン壁にぶつかって転びながらちょっと前に進んだ時間のお話だ。

 

だから宣伝としてはキラキラ成分が多すぎるんじゃないかなあと、そう思ったわけです。

*1:さすがに車から転げ落ちるハンストはしたことないけど

*2:ちょっと一般に落とし込みがたいところはあるけど。彼女の性知識とか

8/11 NIGHT OF ZOMBEAVERS Vol.2 偏愛レポ(完)

レポ、とは言いつつも実際の様子は公式からの映像を見てもらうとして、”わたし”の主観が多分に入ったゾンビーバーズ2の話を書きました。これもひとつの偏愛だよね、という話。

長いし目次つくったので、見たい演目だけ読んでね!

 (8/13 19時 全演目書きました!+リンクなどちょっと加筆しました )

 

 

1. 特撮夜話 第2夜 -音楽で語る円谷特撮 美味しいお酒を添えて-

デデデデーン、とウルトラマンの歌のイントロがかかると反射的に笑顔になってしまう身体である。父親が特撮の民なので、これはもはや幼少期に刷り込まれたもの。

さらにティガのTAKE ME HIGHERがかかると反射的に歌い出すことが今回判明しました。会場で聞いたひとはわかると思いますがあれかっっっっっっっっっっっこいいですよね?!!!!!!!????

ていうかウルトラマンシリーズのOPはどれも問答無用でかっこいいよね!!!
「決して絆を諦めない」でお馴染み、今オンエアしているウルトラマンR/Bをよろしくお願いします!!!*1 *2

 

特撮を愛してやまないyouth kさんとMEZさん、そして助っ人のMARCO Dくんでお届け。
誰もが知っている昭和ウルトラマンのOPから、科学特捜隊をはじめ防衛チームのテーマソングを紹介し、ミラーマン、ジャンボーグRとテンポ良く曲をかけていく。

 

ウルトラマンの歌なのに、歌い出しの『胸につけてるマークは流星 自慢のジェットで敵をうつ』って、ウルトラマンじゃなくて科学特捜隊なんですよね。」

ってyouth kさんが序盤に話してて、アッ確かに!と気付きを得た。ウルトラマンの戦う姿は語らずにイメージを膨らませていく効果。

 

 

  • 「ワンダバ」

中盤でスケッチブックが登場し、キーワードとして出てきた「ワンダバ」*3

同じフレーズのスキャットが、円谷作品の防衛チーム(科学特捜隊とかウルトラ警備隊とか)のテーマソング(「帰ってきたウルトラマン」以降の作品などなど)に共通して使われているという話。

 

勇ましい伴奏と一緒にあのイントロを聞くと、わたしは勢いよく回るプロペラを連想します。それは、平和のために今まさに怪獣に向かわんとする、防衛チームの戦闘機のプロペラ。
防衛チームは、言ってみれば自分達の平和を守るために戦う”ただの人間”たちだ。ウルトラマンたちと違い、自分の身体ひとつでは光線も光輪も出せず怪獣と戦えないただの人間たちは、科学の力を駆使し武器を作り、戦闘機に飛び乗る。彼らを鼓舞するための「ワンダバ」なのかな。

と今これを書きながら想像してみる。

 

もはやワンダバの原型がなかったり、むしろワンダバをテーマにした曲を歌ったり(お蔵入りになった曲「TRC のワンダバ1週間」めちゃくちゃ笑ったし大好きになった)
そんなアレンジを続けながらも作品を越えて同じスキャットが歌われる。それを聞くたびに、ひとびとは勇ましく立ち向かう防衛チームの姿を応援したくなるんだろうな。

 

  • 特撮音楽に合うお酒

会場はとっても素敵なバーなので、美味しいお酒を飲みながら楽しいお話を聞いているわけですが。
円谷音楽について語るのはyouth kさんとMEZさんで、では一緒に登壇していたMARCO Dくんの大切な役目はなにかと言えば


「では、今聞いていただいたこの音楽に合うお酒はなんですか?」

という、無茶ぶりにも思えるオーダーにぴったり回答すること!

 

5曲くらい尋ねられていたと記憶しているんですが、どれも当意即妙におすすめポイント込みでメニューを挙げていて、えっすっげえ!と感激しました。
ちらっとMEZさんが最後に言ってたけど、最後のオーダーは打ち合わせなしの本気無茶ぶりだったらしい、けどそれもMARCOくんは一拍ウーンと唸ってからすぐさま返してました。えっすごい、怖い。
彼のお酒への偏愛は風の噂で聞いたことがありましたが、こんな風にトークとして活用できるもんなんだなーと印象に残りました。
わたしその後実際におすすめしてたお酒を注文しました。スクリュードライバーおいしかった!


2.名シーンで語るでんぱ組.inc


「皆さん!!女子です!!!!!!」

(会場が大歓声で揺れる)


というオーガナイザーMEZの導入で登場した、ランランこと本田蘭さん。確かにゾンビーバーズの戦闘メンバーは凜さんが紅一点でしたからね。そしてトークメンバーとしては初の紅である。

 

彼女もやはりスケッチブックを抱えて登場しましたが、メンバー紹介の手作りページで、推しだけ貼られてる写真の枚数が段違いだとか、紹介曲の歌詞がフルコーラス手書きで書かれてる上に歌唱パートもカラーで塗り分けられてるだとか、仕込みの段階で熱量がとんでもなかった。

 

蘭さんとMEZさん以外にも会場内にファンが何人もいて、メンバー紹介シーンでは色とりどりのサイリウムの光と推しへの愛が飛び交ってた。トーク中にも飛び交ってた。

 

 

彼女が敬愛するでんぱ組.incのメンバー紹介から始まり、曲を聞きながら彼女らが辿った歴史を語る、という構成でしたが、ここで重要なのは、メンバーひとりひとりに付随する過去の’陰’ともいうべきエピソード。
イジメ被害や引きこもりなど、彼女たちはアイドル活動をするうえでともすればネックとなりそうな暗い経験をひた隠しにするのではなく、あえて歌詞として入れ込むなどしてそれをひとびとに晒している。そしてそれこそが、彼女らのアイドルとしての原動力、そして唯一無二の魅力の源となっている、と蘭さんのトークでは繰り返し語られました。

 

元々はアイドルできるような明るく前向きな子たちではなくて、でも”陰”と向き合って「いじめた奴らを見返したい」とか「変わりたい」とかの気持ちを抱えて、歯を食いしばってようやく足を前に踏み出している。

 

そんな彼女たちが、少しずつ駆け出して光っていって、苦難があってもファンとメンバーみんなで乗り越えて、やっと大きな目標を叶えて、でもそこでまた別れがあって……
唯一無二であったはずのメンバーが変わってしまって、「これからどうなるんだろう」って不安な空気がファンに漂ってしまった。

 

そこで彼女たちは、また歌った。つきまとう陰を知っている彼女たちだからこそ口に出せる、不安も怒りも憶測も吹き飛ばしてファンみんなを引っ張りあげる、力強いことばで。

 

 

ぶかっこうでも光れ

どうぞごちゃごちゃって言ってちょうだい

太陽フレアな炎上だって上等だ

 

つまりは新しいって最高だ

おまえら道に迷わせない

行く先照らしてやんよ

でんぱ組.inc「ギラメタスでんぱスターズ」LIVE Movie(2017.12.30 at 大阪城ホール) - YouTube

 

わたし当日の19時まで、でんぱ組が正式名称でんぱ組.incであることも知らなかったんですよ。知らなかった人間が今やこんなこと書けちゃうんですよ。

それくらい、順を追って語られるでんぱ組の歴史とエピソードには心を揺さぶる力があり、それを時折涙ぐみながら切々と語る蘭さんのトークは印象的だったし間違いなく面白かったです。

 

 

そして聞きながらわたしは(めっちゃオタクが好きなストーリー展開………)と唇を噛み締めながら頷いていた。

 

だってこんなエピソードたち、めっちゃオタクが好きなやつじゃーーーーーーーーん………

1年クールアニメを見たとき並みの積み重ねと心の高まりを感じる………わたしがこれ書きながらまた勝手に感極まってるわ。

 

 

余談として、メンバーカラーが「たまご色」と紹介されたとき会場一面「たまご色……???」ってクエスチョンマークが浮かんだのが面白かったし、それにたいして壇上の二人が「たまご色って言ったらたまご色は存在するんだよ!」ってごり押ししてたのがいいやり取りでした。

 

3.グッズ紹介

ここでyouth kさんのDJが入るプログラムでしたが、トラブルで急遽なしに。残念。

 

次の特集のために準備を進めているあいだ、物販コーナーからの宣伝が。

・Tシャツ

・トートバッグ2種(ネイビー、ホワイト)

・マフラータオル

・缶バッチ3種

・パンフレット(フルカラー24ページ)

 

なんだこの充実具合は!!!!!同人イベントだったら大手になってやっとこさできるボリュームだわ!!!!!買いました!!!!!!

 

イチオシはトートとパンフレットなんですが、まずトートバッグかわいいんですよ……横向きにA4が入る正方形で、シンプルロゴで使いやすそう。缶バッチめためた付けた。

周りで使い始めた人がいたらその人はゾンビーバーズ罹患者です。かじられないように気を付けましょう。

 


それで!パンフレットね!!!!最初はグッズになかったんですよ。主催も作る想定がなかったんだと思うんですけど、どっかのオタクがね、グッズ一覧を見てのたまったんですよ。

 

はい、わたしです。
そしたら、なんか、つくってもらっちゃいました。てへ。

 

当日、パラ見しただけでひっくり返りました。充実しすぎ!

イベント本編に触れそうで触れない(いっそ関係ない)それぞれの推しを紹介するページに、イベントの楽しさを倍増させてくれるトーク内で紹介した作品の目録*4
阿Gさん書き下ろしの狂気とホラーに満ちた脚本*5、MEZ & 凜の歌詞集*6、盛りだくさんなフルカラー24ページ。

えっ……私得ですか……??これが原価で売られている……???

 

合同誌とはいえ、フルカラー24ページを正味10日で作ってくださった主催一同には頭が上がらないです。オタクの軽はずみなお願いを聞いてくれてありがとう…!

パンフは複数買いしたので、読みたい方はぜひ言ってください。

 

4.宇宙最強のアクションスター ドニー・イェン特集

キタ!!!!プレゼンと言う名のドニーさん絶叫上映!!!*7

見たことある人もない人も、野次馬根性でワーワー言いながらアクション見るの楽しいな!!

 

ドニー・イェンさんがめちゃくちゃ大好きな大長さんとMEZさんが、ドニーさんのドの字も知らない又吉さんをコンビで洗脳するプログラムです。*8

でも又吉さんがまあ、手強い(笑)

 

おっきな画面に映像を映して、ドニーさんの飛び抜けたアクションを見せるスタイルなのですが、「カッケェー!」ってどんどんテンションの上がっていく大長さんに対して、役者の見分けがつかなくてドニーさんを画面から見失ったり映像中のおねーさんに気を取られたりして中々アクションを注視できない又吉さんの噛み合わないトークが、コントのように面白かった。

 

それにしてもドニーさんすげぇなあ……棒術やってるの初めて見たけど竹の棒が鞭のようにしなって陶器の桶を叩き割ったり竹の柱を折ったりしていた。わたしの知ってる竹と違う……

 

あと見たことある作品だと大切な家族を守りつつ流派としてしっかり試合を受けたりする絶対紳士系ドニーさんがイチオシなので、イップマンを見てください!アマゾンプライムだと3作中1も2も見られるよ!!!

 

 

5.LIVE Workingpoor Tracks (wktk) + MEZ

 

ゾンビーバーズにやってきたロックの新星!

ごりごりの音を立てるギターとボーカルで乗り込んできた2人は、緊張しながらも楽しく演奏していてよかったなあ……。演劇の人間たちはとりあえず応援をするシチュエーションに順応が早い。

最前で声援を送るのもこれまた楽しい。これが俺たちのロッキンジャパン(地下)や。

ラストに MEZさんのラップとJun+さんのコラボ!勢いを増すギターもぴったりとついていくラップも、2人ともすごかったなあ。ソガイカンの歌詞だったね。

 

 

6.LIVE  MC MEZ・MC凜 

わたしはゾンビーバーズのオタクですが、おうオノレ推しはどいつなんやと問われたら「ラッパーたちです」と即答する自信がある。

今世間では他のサブカルチャーにヒップホップを掛け合わせる試みがいくつも現れている*9が、水戸で上演される演劇にも数年前からラップが技法として取り入れられるものが現れた*10

そのとき必ずと言っていいほど曲提供・指導を行い、ときには出演までしてしまうのが、ゾンビーバーズのドン、MEZさんなのである。渡来人よろしく文化を持ち込んでくれたのである。みんな知ってるよね。言いたかっただけだよ。

 

そしてコンビを組む凜さんは、何を隠そう役者としてラップに出会い、すっかり魅せられてMEZさんの導きでステージに上がるようになったのだから、なんというか、人生ってわっかんねえなあとしみじみ思う。パスカル好きだよ。

 

そんなお二人のセットリストはこちら、

・lips(MEZ)
・凜さんデビュー曲 (凜) *11
・水星(凜)
・よるのそこにて(MEZ & 凜)
・まだ寝てたい‐ふたりで爆睡Remix‐(MEZ & 凜)

 

前回ゾンビーバーズから大きく違ったのは、今回お客がみんなサイリウム振ったことですね。

youth kさんのご厚意によって配られる大閃光!

恐る恐る折ってみる人もいれば、すぐさま片手に3本持つ猛者猛者(モサモサ)もいる!

持参のペンラで色を合わせるオタク!*12

Paper Moon はひとときオレンジの光に包まれました。色が統一されるのって思ったより綺麗だねえ!*13

そしてそれをステージの上から見てはしゃぐ演者ふたり。楽しい楽しいかよ。見たことの無い景色を俺たちが見せてやるよ。

 

  • MC MEZ

毎回しみじみと思うけど、おいかっこいいぞ、誰もきちんと言わないけど、かっこいいぞ!!!!!!!!!!

みんな言及しないのは、MEZさんはいつも演目のクオリティを一定水準以上に保って、それがあたりまえみたいにこなしてるように見えるからというのと、見ているお客(主に演劇の村人)へラッパーやその楽曲に対する誉めの語彙が浸透してないからじゃないかと思っている。だから新しい文化に触れたという驚きや、見目に対する印象の切り口でしか、口にできないんじゃないか。

調べればドープとかことばはあるけど、わたしが口にすると借り物みたいでしっくりこないし、さらに今は流行り言葉みたいにもなってて、うまく相手に届かない気も勝手にしている。ボディビルダーへの掛け声みたいな決まり文句があれば教えてください。*14

 

今回歌詞読むことができて、ようやっと「lips」の早口部分が判明して嬉しいです。

 

  • MC 凜 

あえて言おう、MC 凜はかっこいいのだ。

いやもちろんキュートで唯一無二なのは満場一致推して知るべしなところではありますが、そこで言及が止まってしまうのは非常にもったいない。

凜さんがまずうたったのは、きっかけともなった「怪物パスカルと仇討ち狂想曲」のエッセンスがふんだんに詰め込まれた曲。「ハイハイなんかつまんねぇ話」「調子はどうだいちんけな兄弟*15」「ねえパスカルやっぱり僕は…」

わたしは荒木さん演じたワタル少年の姿が、女性が演じたために起こる存在の曖昧さみたいなところで大層好きだったのですが、役も溶けこんだ上での”凜さん”の紹介曲としてピカイチだなって思う。可憐な女の子だけとはいわない、悪戯もワルノリもするけど未来に一抹の不安もあって、それでも地に足つけて立ってやんぜという!そういう!やつです!かっこいいひと!!!

曲も軽快で手拍子たくさんできるし、かかるといっつもワクワクする!さあ迎えにいこうよハッピーエンド!

 

「水星」はね、始まるときそっと口を開いてうたいだす凜さんのすがたがとてもきれいなんですよ。目を伏せてつぶやくようにうたいながら、きらきらしたことばを乗せる様を見ると、あーラップってこういうこともできるんだなと感じ入る。

 

  • MEZ&凜 コンビの魅力

いつもはジャケット着用のコンビですが、今回はゾンビーバーズTシャツ!カーディガンでさりげにお揃いにしちゃって!かわいい!!

みんなもうコンビにメロメロだって知ってるけど話していい?ありがとう

「よるのそこにて」は仄かに照らされた部屋が目に浮かぶような恋人の情景をうたっているんだけど、MEZさんのおだやかな語りと合間に挟まれる凜さんのしっとりとしたうたいかたがベストマッチなんですよね。

いつもとは似ても似つかない 甘い歌声

何度でもかまわない 何度だって聞き惚れる

ここ好きだなぁ。

 

それとは対極に属するみたいな、人間の欲望と悲哀をうたった「まだ寝てたい」。

コール&レスポンスが鬼気迫る願いになることでお馴染みですが、コンビで息を合わせるパートがあって見てるだけでも楽しい。茶目っ気たっぷりに視線を合わせる師弟がよい。

この師弟、探偵と使いの少年みたいな、年の離れたきょうだいみたいな、たった半年なのに唯一無二のコンビ感だなって思ってる。ステージを降りると、案外心配されてるのは師匠のほうだったりするところとかね。

 

何度でも言うけどパンフ歌詞掲載ありがとう……オタクは活字が大好き……

 

 

7.今大人が読むべき児童文学―地獄堂霊界通信特集― 

覚えやすいキーワードでもってキャラクターの魅力を観客に伝え、エピソードを軽妙に語りながら徐々に物語の世界に引き込む巧みな話術。

そしてラストの朗読に至れば、誰もが呼吸を潜ませじっとその声に耳を傾ける。少なくともその時間だけはみんな、作品を思い思いに頭のなかに描いている。

 

そんな最もグレイトなショーマンである阿Gさんのトークは、布教という言葉がもっともふさわしいのだと思います。目の前に聞き手がいる場内での一人語りとして、ひとつしっかりと形を成している……めっちゃ聴き込んでしまう。

 

今回紹介された「地獄堂霊界通信」

この世ならざる力や存在に立ち向かう、勇気と知恵と不思議な力を携えた少年たちの冒険譚……

にとどまらず、人間が営みのなかでつい抱えてしまう業の恐ろしさも潜んでいたりして、エーこれを!憶さず子ども向けの物語に組み込むのか!と話を聞きながら仰天しました。

 

子ども向けの物語を作ることは、事実を誤魔化したり甘い言葉ばかりで埋め尽くしたりすることではない。大人に伝える物語と同じように組み立てて、ただ成長段階に合わせて理解しやすい表現に置き換えることだけなのだ。

とは、インターネットで聞き齧った言葉の意訳ですが、地獄堂はきっとそういう物語なんだろうなと思います。

大切なのは、子どもが読んでも作者の考えた情景が心の中に描けることであり、描いたものが真に理解できるのはそのずっと後でもいいのです。

少し背伸びして本を読み漁ってた頃なんて今から思うと、言葉はわかるのに意味がわからない表現なんて山ほどあって、それでもわかる部分から推理したり読み飛ばしたりしてたもんな。

 

今回朗読によって紹介されたのは、自らの業に絡めとられた女の話でしたが、いやめっちゃ旦那さんやばい。やばたにえん。好き。

 

コミカライズには削られてしまったシーンのため、今回読むことに決めたそうなのですが。とにかく阿Gさんの朗読聞いて。

今回の旦那さんのように、一見普通そうに見えるのに目だけあらぬ方に向いているとか、清潔そうな身なりなのに爪の間だけ赤黒く汚れているだとか、そういう、ひとがヒトのまま狂ってしまった姿を阿Gさんが演じるの好きだなって思いました。

あとモブおばちゃんたちもすきです。

 

 

8.お人形映画特集 

ゴライを讃えよ!!!!!

 

遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ

やって来ました、ゴライトークのお時間です!!!

 

ゴライトークについては、もはやレポートするよりも映像を見てもらった方がよくよく伝わると思うので放k…割愛させていただくとして。

ゴライくんの映画語りは、とにかく情報量が大波のごとく襲ってくるのがひとつのアトラクション的面白さ。キミはそのやべぇホステルにいたんですか、と問いたくなるような見たままの情報がポンポン飛び出してくる。

客席に危険が及ばない程度に手綱をゆるーく持ってるMEZさんも、しまいにはその勢いに振り切られてすっ飛んでいったりする。いいぞもっとやれ。

 

そして今回はお人形の出てくる映画ということでチャッキーが満を持して登場いたしました。

映画に明るくないわたしとしては「ゴライくんを写真に撮ると顔認識が働いてしまうお顔」という印象。iPhoneのなかで拡大されててヒェッてなります。

 

今回ステージ上には有志によるお人形の提供があり、恐ろしくも愛らしい人形を愛でながら映画の話が盛り上がることに。

シリーズ7作も続いてることすら知らなかったので、今回も盛りだくさんの情報量でした。チャッキー割れるのに復活するんですね、しぶといなあ。

 

途中MEZさんとゴライくんの推しトークがぶつかってしまい、ガン飛ばしあった一瞬もありましたが、終始もうふたりともめちゃくちゃ楽しそうに語るものだから

「君たちが元気で楽しければ、もうなんでもいいです!」という観客たちの生暖かい雰囲気に包まれた深夜となりました。伏せ字になるピー音ボタン持っていかなくてごめんね!!!

 

 

9.音楽で語る高校野球~エンディングDJ TIME

さあ23時になりますと、もうわたしの泥酔度も推して知るべしとなってきているので、もうこの辺は楽しかったなと言う気持ちの残滓くらいしか覚えてないんですけど*16

これだけは!!語らなきゃ!! という楽しさがあったのでご紹介。

MARCO DくんのDJタイム、テクノをかけてる印象が強かったのですが、今回その前座口上として

「音楽で語る高校野球」のお話をしてくれました。えっ好き。

 

高校野球にバンドを引き連れた応援は付き物。炎天下と汗だくのなか、傷みやすい繊細な楽器を持ち出して演奏してくれる吹奏楽部の人たちには頭が上がりません。

どの高校も選ぶ定番曲「アフリカンシンフォニー」を例に、地域色や戦略が応援にも密接に関わるというお話。沖縄興南高校の指笛が入るアレンジ新鮮だったな……!!

 

野球というスポーツには、手を組んで祈り思わず息を止めてしまう、永遠と錯覚しそうな瞬間と、ボールよどこまでも飛んでいけ、あるいはその手よ届いてくれと声を枯らして願う瞬間が交互に登場します。

その瞬間をいつまでも記憶に焼き付ける役目を果たすのは、独特の色を含んだそれぞれの応援歌なのかなあなんて。

 

いーやー楽しかったです!!ありがとう

 

 

 

 

 

 

 

(おわりに)ゾンビーバーズとはなんなのか

ここまで読んでくださったひと、ほんとうにほんとうにありがとうございます。

同志が欲しい演者さん、わたしと同じお客さん、はたまた来られなかった方……

いろいろだとは思いますが、ゾンビーバーズが好きなひとには違いありません。だって10000字読んできてるんだぜ。

 

「イベントが楽しかったので全演目感想書きたいんですが、どれも重い書きぶりになりそうで迷ってるんです……」

って某主催さんに相談したら

「うん、まず全演目書く時点で充分重いから、気にしなくていいと思うよ!」

と励まされました。

なるほど感想を書くという行為ですら、すでに偏愛は始まっているのだと気づいたのはこの時で、ならばひとを傷つけない限りなにも気にすることはないな!!と吹っ切れました。ラッパーはやっぱり凄い(明後日の方向を見ながら)

 

自分の好きなものの話を聞いてくれるひとがいること

わたしもそれ好き!とハイタッチしてくれるひとが現れること

あなたの話しぶりで気になって買っちゃった、と笑うひとと出会うこと

この人の話ならいくらでも聞いていられるな、とお酒を片手に思うこと

 

普段社会の歯車として生き延びているわたしにとって、こんな経験を可能にしてくれるのは、身近なところではゾンビーバーズなのかなと思います。

だからこれからも続いてほしくて、わたしはイベントへの愛を綴りました。

これを読んですこしでも気分が良くなったら、またステージに上がる日をお待ちしております。それはゾンビーバーズ以外のどこかかもしれない。

わたしにハイタッチしてくれるひとも、若干数お待ちしています。友達が欲しいもの。

 

我々の魂の叫びが、誰かの魂に共鳴を起こすことを願って。

 

一番スゲェのは、ゾンビーバーズなんだよ!

 

 

秋が楽しみなNIGHT OF ZOMBEAVERS のオタク まるゆき(@maruyuki16)

(了)

*1:youtubeで見逃し配信やってます→ Tsuburaya Prod. Official Channel - YouTube 

*2:あとドアサとニチアサの友達が欲しいです→ @maruyuki_tv

*3:「このイベント、スケッチブックが出てきたら要注意ですよ!」とはMEZさんの言。みんなだいたいスケッチブックを抱えて出演するのですが、偏愛がたっぷり詰まっているドロドロした壺みたいなものだからです。

*4:単なるリストじゃなくて、演者による一言コメントがそれぞれついてるのがニクい。大好き

*5:モーガン!モーーガーーーーーン!!!

*6:初活字化!!今回やらなかった曲も掲載されててオタク嬉しい

*7:この辺りからアルコールが多分に入りわたしのテンションがひどい

*8:トークの冒頭で「ドニーさん知ってる人〜?」って募ったら10人弱手を挙げて、大長さんの予想よりはるかに多かったらしい。精力的な布教活動のおかげっスよきっと!

*9:ラップのタイマンバトルとしての側面を強く打ち出した番組「フリースタイルダンジョン」はもとより、同ポジションキャラで声優よりもゲストラッパーのほうがアフレコ量が多かったネトフリ版「デビルマン」、声優が現役ラッパーたちの曲提供を受けてキャラクターもライムも見事に演じる「ヒプノシスマイク」などなど。キャラクター単体でラッパーやDJが出てくる作品も目立つよね

*10:といってもわたしの自我が目覚めたのが5年前くらいだからあんまり信用しないでください

*11:タイトルは「petty cakes and ale」だってインターネットの路地で聞きました

*12:わたしです

*13:しかし激しく動く光源と被写体があれだけ近い状態では、カメラは相当苦労したんじゃないかな

*14:「(ライムが)キレてる!キレてるよ!」

*15:今回ここでコール&レスポンスが起こりそうだったのが面白い

*16:おんなのこにからみにいってた

プリパラに救われたわたしたち(アイパラ50話雑感)

プリパラが終わることに耐えられず駄々をこねたのが一か月前なんですけど、あっという間に一か月経ちましたね。

 

maruyukifan.hatenablog.com

 

正直記事を書いてもしばらくは向き合えなかったんですけど、最終回の5日前である金夜に一念発起して4話分ぶっ続けで見ました。50話に至ってはお隣さんから苦情来るかもしれないレベルでおんおんと泣きました。

 

なんで泣いたかって、新衣装とか新CGとかいろいろ構成が上手いのもあったんですが、見返してみて確信した点として、この作品としてのクライマックスに”わたしたち”が登場したからなんですよね。

 

”わたしたち”とは、前回記事で言及した「プリパラに出会ったことによってアイデンティティを再形成できた少女たち*1」であり、もうちょっと一般的に言えばプリパラを鑑賞している視聴者・あるいは消費者。

プリパラというジャンルの特筆する点として、アニメ・声優たちによるライブ・ゲームの体験を通して、作品世界とこちらの視聴者世界がちかぢかとつながりあい、まるで同一の次元に存在しているかのような錯覚/一体感を生み出したことが挙げられる、と思っています。そしてその一体感によって、”わたしたち”はプリパラからのメッセージをより深く受け取り、自身と向き合う勇気を得た。

その、”わたしたち”とプリパラが同じ世界で触れ合っているという感覚を、作品のクライマックスでもう一度呼び起こしてくれたんですよ!!!!!!!さいこうじゃないですか!?!!??1!!!?1・1!なくわこのやろう!!?!>?!・!

 

この点について消化/昇華しないと新番組に正座待機できないので、自分のために書きます。未見のひとにも伝われこの情熱。

 

(当然のことながら、ここから先はアイドルタイムプリパラ50話、およびその前後のストーリー解説を交えた感想になります。一応注意書き。)

(セリフがひとことひとことすごいんですよ、キャプ画貼れないので書き起こします)

 

”夢を失った夢たち”

唯一の相手だったガァララがあっさりとファララを許し和解してしまったことで、悲しさとさみしさにとらわれて暴れるパック、そしてパックのなかに取り込まれて眠ってしまったらぁら。

らぁらが閉じ込められたのは、ガァララが過ごしていた時計塔。ガァララが起き続けるために、これまでパックとガァララが世界中の女の子たちから奪ってきた夢の結晶=ジュエルが、冷たい氷の床や壁の中に埋まっている。そしてその冷え冷えとした空間には、半分眠っているような、あるいはすべてを諦めたような目をした女の子たちがたくさん座り込んでいた。少女たちはさまざまな時代の服装をしている。

彼女たちはらぁらにつぶやく。

「夢なんて叶いっこないわ」

「ここからはもう出られないのよ、何千年もここにいたし」

「もう夢なんて」「忘れちゃったね」

 

「これは、女の子たちの夢…長年閉じ込められているうちに、夢が夢を失ってしまったんだ」

彼女たちはパックがこれまで奪ってきた、パパラ宿に暮らす女の子たちの夢そのものの表象なのだが、長いこと閉じ込められていたせいで、精力を失い存在そのものが消えかけていた。抜け殻のような状態で、彼女たちはここから出ることを諦めていた。夢を叶えられる空間=プリパラの隅で閉じ込められていた、自分の意志ではなく他者によって失われた、夢の成れの果て。

プリパラを出たパパラ宿では、これらの夢をかつて抱えていた少女たちが、一見元気に暮らしているように見えて、自分だけの夢を忘れ、あるいは諦め、そのまま生活しているのだろう。

 

このシーンを見て、「あっこれ”わたしたち”じゃん」と泣き出す。

この「夢」たちって「プリパラでアイドルになって活躍する」のみではなく、人それぞれで大きなものからささやかなものまであるんですよ。*2。職業、休日の予定、新天地での希望、憧れの存在、着たい服。

それらが叶う前に、他者によって抑えつけられ、消え失せてしまった経験なんて、きっと誰にだってある。それと同時に、近くにいる少し恵まれた誰かが、同じ夢をやすやすと叶えているのを見たことも。

夢なんて叶わない、身の丈に合わない高望みだったんだ。思い通りに夢がかなえられるのは限られた人間だけで、それはわたしではないんだ。幼いころにそう感じてしまったら、あとは夢を諦めるか忘れたふりをするしかない。

これが”わたしたち”の根源。プリパラに出会う前のわたしたち。

 

 らぁら=「プリパラ」から”わたしたち”へのメッセージ

らぁらを救うためにマイドリが歌い、閉じ込められていた空間にドアが出現する。

らぁらは、失われた夢たち=少女たちに叫んで手を広げる。

「みんな、夢を忘れないで!」

「ここから出て叶えよう!私たちが応援するから!」

実際に、らぁらはこれまで何度もパラ宿の女の子たちを励まし、憧れを思い出した彼女たちの手を引いてプリパラに連れてきた。ほかのキャラクターたちもお互いの夢や憧れに触れ、ぶつかりながらなるべく尊重してきた。

その姿を見て、「わたしも、夢を持っていいのかもしれない」「持つだけじゃなくて、叶えてもいいのかもしれない」と少しずつ”わたしたち”は思い始めたのだ。

 「本当に?」

「夢、叶うの?」

「…本当に?」

「ここから出られるの?」 

 ここの、らぁらに呼びかけられた少女たちの反応が、いま述べた”わたしたち”がプリパラに出会ったころとダブって見えて、何度観返してもたまらなくなる。今までうつむいていた顔がほんのすこし前を見て、諦めていた瞳がほんのすこし開かれて。

プリパラを見て一歩を踏み出したあとも、いきなり自信なんてすべて身につくものではなくて、何度も何度も、本当に夢を叶えていいのか戸惑って立ち止まりそうになった。「本当にわたしがわたしの夢を叶えていいの?」「わたしの夢は肯定されるの?」とこわごわ何度も振り返っても、その度に笑顔でうなずいてくれたのが、プリパラというジャンルそのものなのだ。

女の子がそれぞれ持つ憧れや夢の違いを肯定し、叶えることを応援してくれる。そんなメッセージをアニメやゲームで4年間発信し続けてくれたこと、その年月も”わたしたち”が救われる要因の一つだったと、わたしは大声で泣きじゃくりたいのだ。

 

それから全員がかわるがわる歌を繋げていき、夢の抜け殻だった少女たちは、忘れていた夢をぽつりぽつりと語り始め、それはやがて大きな声になる。

世界一のピアニストになりたかった、友達百人作る、パティシエ、神アイドル、デザイナーになる、シイタケが食べられるようになりたい、世界中のプリパラでライブする、世界一のアイドルになる!

”Believe Your  Dream!”

曲が最高潮に盛り上がって、ここで観客の女の子たちが一斉に合唱するんですよ~~~~~~~!!!!!!!!!!なくやろこんなの

 

 

ダメ押しのメッセージが最高

そしてパックは暴走を止め、奪っていた夢が吐き出されて全て元の持ち主のところに帰っていく。帰っていくんですけど、ここでまたプリパラの白眉さをちらっと感じてしまったんですよ。

いろんな女の子たちに夢が戻って瞳がキラキラ輝くってシーンなんですけど、一番最初に描かれるのが、町のベンチに座っていた60代くらいの女性2人なんですよ。すごくないですか!?!!失われた夢たちのシーンでも聖子ちゃんカットの女の子出してたりしましたけど、改めてここで「かつて少女だったすべての人々へ、いま夢が戻っていくこと」を表現するんですよ。現在未成年である女性だけじゃないんですよ少女は!!うまく言えないんですけど、わたしはめちゃくちゃここで感動してしまった。

このあと高校生、小学生、高校生?ときて布団たたいてる主婦、OLふたり、ティーン?と続いていくので、この先頭打者がなかったら定番の流れとして流していたと思います。*3プリパラはIQ5000あるってのは本当でしたね。

 

 

 

 

プリパラ終わるの嫌だよ~~~~~!!!!!!!!!ってバタついていた自分にとってはこの50話で、ああそういえばこんな風にプリパラに救われたんだっけ、と思い出してすこし気持ちが昇華されたというか、これからもプリパラは”わたしたち”のような少女を救ってくれるだろうなと思えてちょっと進めたような気がしました。

 

書きたいこと書いたのでおしまいにします。

明日からプリ☆チャンが始まりますね。これにより日曜は正味3時間くらいテレビから離れられないことになります。とっても楽しみです。

*1:この「少女たち」は現在までも少女である必要はないし、性別で少女である必要はない。その人たちの内心に住まう「幼いころのだれか」が救われたのならここでは誰しも少女に含まれる。

*2:このことはアイドルタイムプリパラおよび夢川ゆいというキャラクターで何度も語られ、そしてこのあとでもういちどはっきり示される。

*3:ついでにいうと詳細な記述は省きますが、かつてプリパラ関連のブログで「高校生は女児と呼ばないだろ(=プリパラの対象年齢に含まれてないだろ)」みたいなコメントがついていたことにずっとモヤついているので、何度も示されている「女の子の憧れであるプリパラは年齢で区切っていないこと」の表現は私にとって重要なポイントになっているのです。

プリパラに選ばれなかったわたしたち

どうもお久しぶりです。最近は人に誘われて映画をよく見ます。楽しいですねバーフバリ。

ところでプリパラが終わるんですけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日常の中でふとプリパラのことを考えると、ここで思考が停止する。エラーにより動作を終了しました。

そのままだと車にひかれたり上司に怒られたり料理を焦がしたりするので、私の社会性が瞬時に脳を殴る、その結果数秒ほどで復帰している。のだが。

いい加減この状態で暮らすのも大変なので、書き出して何とかならないだろうかと思った次第である。

今日久しぶりに筐体で遊び、1月末までの本編を消化して追いついたので、さて書かねばなとパソコンの前にへばりついている。

 

 

 

知らない人に言えば、ゲームセンターの筐体および玩具の展開、その販促アニメが企画を新しくするということです。

 

 

ツイッターを眺めているとプリパラが終わってしまうことの嘆きをいろいろな言葉で見かける。

曰く、活動圏内の服屋や映画館が全部潰れる感じの、生活にかかわる絶望。

曰く、乗っていた大きな船がひっくり返って救命ボートで海に投げ出されたよう。

曰く、住んでいた家が火事で焼け出されたよう。

あるのが当然で無くなるなんて思ってなかった、自分を守ってくれていた大きな安心感。自分の足元が常に踏みしめていた地面なのに、急に底が抜けたような気持ち。どれもそんな不安を吐露している。

大げさじゃない、どの言葉もちっとも誇大表現じゃなくて大まじめだ。そしてわたしもそれに倣うなら「今住んでる町が一か月後にダムの底に沈むと予告された」気持ちだった。えっっまじ?そんなことあるんだーへーうっそー……え、じゃあそのあとわたしどう生活すればいいの?…………え、わたしいきていけるの?

こんなの、直後に言える状況になかった。一か月前の私は、お昼休みにスマホで新情報を見て、職場で突っ伏して、情報からの感情を咀嚼できなくて、とりあえず呻いた。それから、仕事から帰るととりあえず寝込んだ。咀嚼できなかったからである。

次の日からも、私はプリパラを避けた。仕事が忙しくて休日も出かける用事ばかりで、アニメも年明けからろくに見ず筐体もほったらかして、目をそらした。だって向き合えない。向き合えばたった一か月と少しで”終わる”という言葉が飛び込んでくるのだ。

 

プリパラが”終わる”とは、わたしたちにとってどんな意味を含有するのか。

 

嘆く人たちはみなきっと、プリパラに何かしら救われた経験がある。

私はプリパラに救われた。オタクが頻発する誇大表現ではなく、プリパラというアニメのストーリーやテーマに勇気づけられ、キャラクターの生きざまに憧れ、そのキャラたちを表現し体現するi☆Risにときめいた。

彼女たちは「どんな形でも、自分自身を肯定することはできる」ことを伝えてくれた。

コンプレックスは少し角度を変えただけで魅力になること。

人気を得るために普段と変身してもかまわないこと。

他人から見られているときより弱っちい姿であってもいいこと。

我が儘として自分を貫いても、友人と分かり合えること。

他人から望まれるように変わらなくとも、自分が自信を持てる姿でいればいいこと。

 

このことを繰り返し伝えてくれる作品であることは、私が言わなくとももうすでに様々な人から叫ばれていることだろう。*1

私は鏡が嫌いだった。正確に言えば鏡で自分を見ることが怖くて嫌いだった。やりたいこと・したい服装があっても、自分に許されていない気がして、ずっと遠くから眺めるばかりで身動きが取れなかった。

 

 

「みんなに届くように、世界中に届くように!思いっきり歌うぷり!」

「ここではすべての女の子に、それが許されているぷり!」 

 

 

プリパラは、私を許して救ってくれた。キャラクターだけではない、都会にいるこどもだけではない。中途半端な町にいて身体ばかり大人になっている、他ならぬわたしを!

プリパラを観ているうちに「わたしもなりたいように、在りたいように変わっていいのだ」と思えるようになり、少しずつ、少しずつ自己実現を始められるようになった。

興味のあった服や小物を買い揃えて鏡を覗き込む。行きたいと思った場所やイベントに足を運ぶ。そこでは褒められたり歓迎されたりした。

そのうち、鏡の中の自分が醜くなくなった。と同時に鏡の中の”わたし”とやっと視線が合わさるようになった。この前の春頃のことだ。わたしはようやくわたしを認めてあげられる段階まで来たのだ。

 

プリパラが好きな人、特に「プリパラに”救われた”」なんて言う人は、おそらく過去に何らかアイデンティティの形成に失敗していて、その欠落がプリパラに触れることで埋まったのだと思っている。

 

 

そのプリパラが、終わる。つまり私たちの前から姿を消してしまう?

えっ、つらい。

 

ねえ今日はずっと欲しかったデザインのワンピースを買った、ねえ今日は化粧が褒められた、ねえ明日は行きたかったコンサートの日だよ。いいかな、いいよね。

一歩一歩、やりたいこと・なりたいわたしを実現できていたのは、プリパラが毎週放送していてライブがやっていて筐体がゲームセンターにあったからなのだ。振り返り振り返り、プリパラが変わらずそこにいることを確かめながら、ようやく自分の足でえっちらおっちら歩き出したようなものなのだ。プリパラが姿を消してしまったら、わたしの弱っちい脚だけで身体を支え切れる自信がまだない。

 

 

 

つらいです!!!!!!!!!!!!!春からが不安!!!!!!!!!!!!!!たすけてめが姉さん!!!!!!!!

 

 

どうして終わるのだろう、と何度も考える。新シリーズになるから、現シリーズの展開が終わる。シリーズ全体の人気がある状態で次の新たな展開を打ち出す。企業としては正しい選択だと思う。

けれどそういった社会的な側面を無視すると、どうしてプリパラが終わってしまうのか、私にはわからないのだ。

プリパラの根幹にかかわるアニメ設定として、「プリパラは現実に存在する」というルールがある。作中では、姿形を変身できる・物理法則がある程度無視されている・奇跡の力が起こるプリパラという空間であるが、そこはプリズムストーンを通って行ける異世界・あるいは電脳空間ではない。キャラクターたちが暮らす、学校や家のある街からプリズムストーンを”くぐって”地続きで行ける場所なのだ。

現在では作中のプリパラはプリズムストーンという店舗が管理していることになっているが、クレオパトラ卑弥呼たちがいたはるか昔にも、また文明の存在しないサパンナにもプリパラは存在していた。機械が発明されるよりもずっとずっと前から、人類史とともにプリパラは存在し、日常世界と地続きであると同時に、女神や精霊の存在する世界として少女たちの隣にあり続けたのである。

ならば、どうして今プリパラは終わるのか?ずっと人間に寄り添ってきたのに、なぜ?プリパラが存在しなくなってしまったら私は何を杖にして歩けば、受け入れられないつらいつらいつらいつらいつらいつらい、エラーエラーエラーエラー

 

エラーを吐き出さないために、呻いてもがきながらどうにかこうにか屁理屈を考える。 

 

終わるのではなくて、”私たちの前から”のみ姿を消すだけだとしたら?

 

プリパラははるか昔からずっと先の未来も、乙女たちのエデンであり続ける。私たちがこれからも自分の足で立つために、あり続けなくてはならない。

プリパラが消えるのではなくて、私たちがプリパラに置いて行かれるのだ。これからも見守るべき存在としては選ばれなかったのが、今ここで嘆いている私たち。ちょうど方舟に乗れなかった昔の人々のように。

きっとどこかには、今も選ばれ続けた少女たちがいて、そこではプリパラはエデンであり続ける。それならば、プリパラの存在は消えない。

 

一か月。頭を抱えながら嘆いて嘆いて、わたしはこうした答えを得るに至った。もはや”宗教”だし、的確な答えというよりは自分を納得させるための物語を創作していたのに近い。でも、どうしようもない喪失を埋めるための作業って、こういうものじゃないだろうか?少なくとも私にとっては、自分がプリパラに触れられなくなるより、プリパラが少女に必要のないものとして認識される方が信じられなかった。ならば、私が選ばれなかっただけだと考える方がずっと、心の平穏が保たれる。

 

こうして私の聖書には新しいページが書き込まれて、無事動作するようになった。まだだいぶギイギイ鳴るけど、まあ昨日よりはまし。

明日から呻きながらアニメを追いかけ、マイキャラのコーデを集め、そのときを迎えようと思う。良き終末を。

*1:ほんとはうけせかさんの記事「女児時代、プリパラで育って本当によかった」を引用しようと思ったが、話題を呼んだために現在非公開のようである。同世代として、心情を吐露してくださって本当に素晴らしい文章だった。ウカさま好きです。

5話「INVISIBLE FUTURE」キャシャーンVSラジャ・カーン 呪いとは何かについて

5話の感想。これを書いているとき7話まで見ていますが、一番好きな話です。

まず全体を通して。ラジャ・カーンというキャラクターが予想と全然違っていました。4話の引きでピンポン押してた時は、「アッ彼はもしかしてコメディ枠なのでは」と笑ってしまったのですが、そんなことはなくむしろ一番悲惨な形で描かれる、自らの境遇に現在進行形で苦しんでいる人物でしたね。

そしてもう一つ意外だったのは彼の年齢設定。正確な年齢は明かされていないけど葛藤の言葉を聞く限り、異形となった歳でいえば登場人物の中で一番幼いのかもしれない、もしかして。安元さんは年上とかおじさんとかを演じるイメージの多い役者さんですが、心情を吐露している戦闘中のセリフが、あの低い声であっても異形の怪物に変わっていようとも、中にいる十代の少年が透けて見えるのはさすがさすが、やはりすごい役者さんです。

ということは、キャシャーンとはチーム年下という点で共通してるわけだ。中の人同士は一番年齢離れているのに!ときめく!

 

自分が異形の姿となり迫害されて苦しんで、どうにもならないその感情のはけ口を「父親」という一点につめこんだカーン。でもキャシャーンが反撃に出て「許せなかったのは自分自身なんじゃないか!?」と問う。それに応えず空中戦しながらキャシャーンを振り払おうとする姿が、だんだん小さな子どもの駄々をこねてる様に見えてきて…わたしはここでカーンにめちゃくちゃ心を寄せてしまうのです。

子どもひとりで抱え込むには大きすぎた呪いを、誰かを恨むことでやりすごそうとした。けれどその相手へのもともとの想いを踏みつぶしてしまうことにもなって、より苦しい。

そりゃ駄々をこねたくなるよね。誰か何とかしてよって思いたくなるよね。はーーーーーーカーーーーンーーーーーーこたつで蜜柑と猫をあたえてえーーーーーーーー!!!!

 

「生きるとは自分だけの願いを持つということだ。どんなに小さくてもいい。僕の願いは、アボカドクリームパスタの味を知ることだ!」

そしてこのアニメの視聴者を飽きさせずスピーディーにかつ濃密に話を展開させるうえで上手なところ、戦闘と感情のやり取りとを分離させずに連動させて描くのが大好きなのですが、今回も戦闘の結末はこの名セリフによって決まったのでした。毎回名セリフがあるぞこのアニメ。脚本家さんの言葉選びが巧みすぎるよね。アボカドクリームパスタという単語で笑たちと食べていたシーンがぶわっとよみがえるし、そこがかけがえなく大切な居場所として感じていたのだということ、少年としての一途さが視聴者に叩き込まれて、もう呆然となるしかない。私はびょおびょお泣いていた。

 

「さっさと殺せ」と吐き捨てるカーンに、「また来る」と言うキャシャーンのセリフでもこみあげてくるものがある。

再来するときに改めてとどめを刺す、という意味にもとれるが、きっとそのとき彼はカーンと話をするのだろう。お互いの境遇のことか、はたまた他愛のないパスタの味のことか。いずれにしろ、キャシャーンにとってはカーンさえも「ヒーロー」として救うべき人々の一人に、あたりまえに含まれている。お前を見捨てない、遠ざけない。だからまた来る。

この短いセリフからも、キャシャーンの姿勢…恨みを持たず真っすぐにヒーローとしてみんなを救うという、ある種10代の少年らしさがのぞく純粋な願いが感じられるような気がして。そしてその言葉をかけられたカーンの気持ちを想像してまたおいおいと泣くのでした。

以上5話の感想でした。初見はジーンときただけだったのに、見直したときは自分でも引くほど泣いた。斉藤壮馬は最高。

 

 じゃあその、彼らが心の支えにし、かつどんなに踏みつぶされても手放すことのない「ヒーロー」って何を指してるの?という部分に次の6話で言及されるのが上手すぎて…もう…好き……。書く機会があれば備忘録としてとどめておくことにします。

 

ほんとInfini-T FORCEゲームにしてほしい。個人ルートでそれぞれ攻略したい。

アニメ:Infini-T FORCE 作品テーマと演技について

www.animatetimes.com

 

4話の感想書いてから上記のインタビューを読んだんですが、思ってたことが製作者側とバッチシ合ってたみたいでした。

テーマのこと、キャラクター同士の関係のこと。

演技的な話もあってとても読み応えある記事だったのでめもめも。記事から引用します。

 

「古臭いおじさん」について

関:世代的にヒーローはもうひとつ下の世代の後輩たちが演じるんじゃないかなと思っていたので、「悪者を取りに行った方がバランスいいかな」みたいな(笑)。

ただオーディションのときには監督の意図が分からなかったんですけど、改めて聞いてみると僕たちの世代で良かったのかなと思います。

茅野:どういう意図だったんですか?

関:クソ真面目なおじさんが若い子を説教する話を、真面目にやりたいと言っていたんです。


──熱い展開をストレートに描きたいと。

関:言っていることは今の時代からすると古めかしいかもしれないけど、そこに実直な気持ちが伝われば、若い子の気持ちも動かせるんじゃないかという狙いがあったみたいなので。

説教もそうなんだけど、和やかなやり取りの中にも過酷な戦いに身を投じていることがわかるセリフがあって、それがさらっと重みをもって語られるのは役者さんの年齢があってこそだなと思う。

たとえば教授のハロウィンパーティー中にあった「楽しんでいる人たちを見ていられるのは幸福だ」(うろおぼえ)とかに代表されるような、この世界に来るまでは遠いものだった平和や日常の幸せをしみじみと受け止めているときの演技は、やっぱり年齢も経験も積んだ役者の面々であるからこそなので、いいなあと思います。贅沢な作品だなあ。

でもさ、「おじさんが若い子を説教する話」とあるんですけど…最年長の健が24歳なんですけど……公式見てヒエッてなったよ…女子高生と7歳差なんですけど…?

原案イラストはまだわかるんだけどCGモデルはどう頑張ってもれっきとしたおじさんだよ!!!35歳だよ!

作品の面白さには関係ないので問題なしですけどね。うふふ…複雑…

 

演技について:”アニメっぽくない”理由

関:良くも悪くもですけど、声優さんって喋り口調がみんな似ているんですよ。アニメのキャラクターにあてることに慣れ過ぎているので、言葉をフィーチャーした喋り方になっているステレオタイプの方が多くて。

でもモーションを担当されている方や役者の方、スーツアクターの方は芝居がナチュラルなんです。今回は逆にアクターさんの芝居に寄せられたところもあるので、もしかすると我々の口調も他のアニメとは違うお芝居をしているかもしれません。


──モーションアクターの方の芝居を見てからアフレコに臨むため、リアルな人間の喋り方に近いと。

関:人って喋るときは意外と言葉を切らないんですよね。声優さんはセリフだと思うと切って喋ったり、単語を立てたりしちゃうんです。

でもアクターの方は、それらに囚われないでセリフを言ってくださるから、自然な人の話し方に寄せやすくて。尺も少しならズレても大丈夫だったので、自由度が高くて非常にやりやすかったと同時に新しさも感じました。

茅野:最初の数話だけは口元まで完成していたので合わせていたんですけど、それ以外は自由に演じさせていただきました。アクターさんのお芝居もすごい参考になって、そこからセリフのニュアンスをいただいたりもしました。

アクターさんの芝居に声を付けてる!これを知ったとき「完全にニチアサじゃん!」とはしゃいでしまった。だってヒーローですから!

話し方も大仰でなくて、相手を目の前にした囁くような声の演技が多くあったのもこの制作方法が理由だったんですね。ならば見てる側としてはアニメよりむしろ、特撮を見てる時に使う脳みその部分が反応しているのでは?ますますジャンルを超えて、実写畑の人にも見てもらいたいしアニメ畑の人にも見てもらいたい。

映画館で見る劇場版が楽しみになってきた。アクションが大迫力で観られるのはもちろん、ストーリーもしっとりと楽しめる期待が出てきた。

 

 

アニメ:Infini-T FORCE 4話「IMAGINARY FRIEND」テッカマン VS. ベル・リン 健と笑について

www.infini-tforce.com

プリパラに熱狂している私ですが、CGで大変お世話になっているタツノコプロアベンジャーズことフルCGアニメが始まるというので観始めました。

Infini-T FORCE、まず声優が面白い並びをしているところにも惹かれる。関さん櫻井さん鈴村さん、ヒーロー…というかめちゃくちゃニチアサの雰囲気が漂う3人じゃないですか。そこに斉藤壮馬くんが来る。そして敵側は平川さん花澤さん安元さん。平川さんと安元さんが敵側に回っているとわくわくするタイプですし、花澤さんがセクシータイプというのもなんだか新鮮。

ヒーローたちはそれぞれの世界から東京渋谷に来ている。元の世界でヒーローとして人々を守っていた点は同じだけど、そのポリシーやバックボーンは微妙に違っている。笑ちゃんに対しての接し方にもそれが反映されていて、彼女の生活に足りなかった家族の役割を少しずつ補いあっているように見える。彼女の心に水を与えていっているんだな。

そして観ていくと分かるんですけど、敵側も全然一枚岩じゃない。笑ちゃんパパのZのもとに集ってみんなでケースを手に入れるぞー!オー!だと思っていたのに、3人とも自分のため・自分が君臨する世界のためにしか行動しないせいで、個人的につっこんでいってやられる。いいのかそれで。後半で協力したりするんだろうか。

 

4話と5話のヒーローVS敵の対決、そしてそれと一緒に描かれる笑ちゃんとヒーロー個人の交流がとてもよかった…最高…

ベル・リンについて

花澤さんをいつまでも可憐な少女だけ演じる声優さんだと思っていると時々ぶん殴られる。今回はそのパターンである。ベル・リンさんは年齢不詳なお姉さんキャラなのだけど、花澤さんの声によってかわいらしさと年上っぽい深みが共存している結果、人外であるがゆえに人が良くわからないままに惹かれてしまう美しさが表現されている。すごい。妖艶さを表現する花澤さんにドキドキしてしまう。ベル・リンさんに首の骨折られたい。

もうひとつ彼女にぐっときたのは、人間の身体を模していたときはしなやかで柔らかな女性だったのに、戦闘モードがそれとは正反対の、多面体で構成されたようなパーツだったことです。プレステの初期のゲームに出てくるポリゴンで作った敵みたい!!!メタルギアソリッド1みたい!!アッ違う、カスタムロボだ!!!!!!と興奮しました。妖艶な女性型の敵が変形するとぬらぬらとした触手になることが多いような気がしてたので、普段の姿と正反対のアーマーで相手を殺しにかかるこのギャップになぜかとてもときめきました。

 

あとテッカマンの設定をよく知らないのですが、変身時の苦しみ方を見る限りではもしかしてとても身体に負荷がかかるのでしょうか…?痛みを耐えてでも、目の前の人を守るために戦うんですか。えっえっ、宇宙船でたった一人きりで救いを待っていたことといい、自分の境遇をことさらつらいとかさみしいとか言わないし変身に苦しむことも伝えてないし、もうばか!不器用!でもそれがヒーローたる宿命であり当然のこととか思っていそう。なんだか急にジョージへの好感度があがってきました。猫カフェとか行って癒されてほしい。商店街でやたらとおばちゃんにもててオマケたくさんもらっていてほしい。というかそんなこと言ったらヒーロー4人はみんな商店街のアイドルになりそうだ…。

 

「ひとはひとりでは生きられない」をどう伝えるか?

笑ちゃんは「自分なんてどうでもいい、放っておいて」と1話から繰り返し主張してきました。4話ではその点について大きく踏み込んで、しかもその表現が丁寧だったので、作品そのものについての評価も高くなってきました。

「どうしてひとはひとりでは生きられないのか」結構よく出てくる命題だけど、扱いが難しいよねこれ。今回はそのアンサーとして「みんなつながっているから、ひとりでは生きられない」という主張を選びました。この主張に賛成・反対かはさておき、作品全体のテーマになっているだろうこれをどれだけ説得力ある伝え方するか・そして映像として面白くするかって作品としての力量が試されるポイントですよね(上から目線)。これを戦いの中で、しかも2つの観点で対比しながら伝えてきたので、じょ、上手~~~!!!!と震えました。

 

「みんなつながっているから、ひとりでは生きられない」というふわふわした真理、つたないシナリオだったらきっとそのままセリフとして使われてしまう。しかしながらこの真理をそのまま話すだけじゃあまるで通用しない。セリフとして実感のあるものにしないといけない。その方策として敵であるベル・リンを前提として置いたのが上手。彼女と対峙するテッカマンは科学的な観点から彼女の主張を否定し、それを受けてガッチャマンは精神的な観点から笑ちゃんに語る。この部分のセリフたちがとても秀逸だったと思うのです。

具体的なシーンとして、セリフを抜粋しながら語ります。楽しくなってきたぞ。

 

ベル・リン「私はひとりで生きているわ」

テッカマン「それはただの傲慢だ!」

自分ひとりで生きている/生きられるから、自分のためだけの国を作り上げると語るベル・リン。その考えが間違っているというのは、テッカマンの言う通り筋が通っています。たったひとつの生命が他の生物を踏みにじってはいけないし、そもそもどの生物も繋がっているから、たったひとつの生命だけで生きることはできない。

 

 

健「一人で無茶をするな」

笑「わたしは自分を守ってほしいなんて思っていない、わたしなんてどうなったっていい」

 

一方笑ちゃんの主張に関して、観ている側は「まあ確かに個人の勝手だしなあ」「本人がそういうなら」とちょっと思ってしまうのではないだろうか。笑ちゃんが言ってることは寂しさの裏返しだとしても、この主張に対して「そんなことないよ」とだけ返事することのなんとむなしいことか!

脚本の上手なところはここなんですよね。ベル・リンの主張と笑ちゃんの主張は全然違うようでいて「他人をないがしろにしている」という点で根源的には同じだと繋げてきたのが妙手で、そして観ているわれわれに対しても「敵側には容易に反論できるのに、笑ちゃんの言ってることはわからんでもないんだよなあ」と気づかせて「じゃあどうこれに反論するのか?」と思わせてくれるまでが丁寧なんですよね。

 

健が叱咤します。

健「いいかげんにしろ!お前の命は、お前とかかわったひとたちみんなと繋がっているんだ。お前が死ねば、お前を大切に思っている人たちの思いも死ぬんだ。自分だけ満足ならいいなんて考えはやめろ」

笑「それがウザいの」

健「ウザくて結構だ!俺ももうお前の命とつながっているんだ、俺がお前がどう思っていようと、お前を守る」

「大切に思ってくれている人たちの思いも死ぬ」このセリフ単体でも結構イイなあ…と私なんかは思ってしまうのですが、笑ちゃんは思春期反抗期なのでそれこそ自分が望んだものじゃない、勝手にしろよと突っぱねる。それを受けてもなおウザく彼女を引き寄せる、でもこの返しは結局健もちょっとヤケになってて「勝手にしろ、俺も勝手にする!」というものなんだけど、それでも「笑ちゃんを放っておく」という選択肢は絶対ないんだという真っすぐな感情をひねくれものの彼女にぶつけているわけです。健、お前……もう…………パパみがすごい……

 

このセリフ自体をことばとしてもうちょっと考察すると、ウザいというかクサイセリフなんだよね。

今の時代真正面から真面目な顔で言われたら、フィクションだとしても笑ってしまう。真っ当で真っすぐで温かい言葉。これをもし教授やキャシャーンが言ったら、他の要素がどんなに上手に入っていても、観てる側としては感情移入できないと思う。だってキャラクターのバックボーンとして説得力がないから。

だからそれを言えるのは、スマホどころか携帯の操作もおぼつかない、「女なら料理の一つくらい」と皮肉なしで言えてしまう”古臭いタイプのおやじ”として描かれる健しかいない。「この人物ならこのセリフ言いそう」と納得できてしまう雰囲気が、3話までで構築されてるのは上手な脚本とキャラ設定だなあと思いました。

パパみについて、健はチーム内の立ち位置としても性格としても、笑ちゃんの父親代わりになっている。彼女が遊びに行くって告げても他のメンバーは用事をたずねない。”平成っぽい”他人の距離感だ。でも健は「どこに行くんだ」と気にかけるし、友達に冷たい態度を取っていたら「友達に対してその態度はないだろう」と叱る。彼はズカズカと笑ちゃんのパーソナルスペースに立ち入って関わろうとしてくる。いや、ほかの3人もそれぞれのやり方で温かく関わっているんだけど、健の関わり方は意識的に”昭和っぽく”描かれている。言ってることはとても真っ当なのだけど、最近聞かない言い回しだ。そのうち「おてんとさんが見てるじゃないか」とか言い出しそう。

笑ちゃんからすると自分の行動に対していちいち言われるからウザい。彼の言葉は彼女に親身になっているからこそ出てくるもので、これまでそんな言葉を本気でかけてくるひとがいなかったから素直に受け取る気持ちを知らない。でもどれだけ突っぱねても健が何度も何度も気持ちをぶつけてくるから、ふとした拍子に受け取ることができる。そうやってちょっとずつ笑ちゃんも自分や周りのことに素直になれたらいいなあ

 

アクションゲームでいいので出してください、そしてちょっとシミュレーション要素入れて個別ルートください!!!!!

 

 5話もまとめて書こうとしたのに、4話だけでだいぶ長くなった。記事分けます。