たえてさくらのなかりせば

あなたに会わなければ私の心は平穏で退屈だったろうに。チクショーありがとう! という気持ちを書くところです。

5話「INVISIBLE FUTURE」キャシャーンVSラジャ・カーン 呪いとは何かについて

5話の感想。これを書いているとき7話まで見ていますが、一番好きな話です。

まず全体を通して。ラジャ・カーンというキャラクターが予想と全然違っていました。4話の引きでピンポン押してた時は、「アッ彼はもしかしてコメディ枠なのでは」と笑ってしまったのですが、そんなことはなくむしろ一番悲惨な形で描かれる、自らの境遇に現在進行形で苦しんでいる人物でしたね。

そしてもう一つ意外だったのは彼の年齢設定。正確な年齢は明かされていないけど葛藤の言葉を聞く限り、異形となった歳でいえば登場人物の中で一番幼いのかもしれない、もしかして。安元さんは年上とかおじさんとかを演じるイメージの多い役者さんですが、心情を吐露している戦闘中のセリフが、あの低い声であっても異形の怪物に変わっていようとも、中にいる十代の少年が透けて見えるのはさすがさすが、やはりすごい役者さんです。

ということは、キャシャーンとはチーム年下という点で共通してるわけだ。中の人同士は一番年齢離れているのに!ときめく!

 

自分が異形の姿となり迫害されて苦しんで、どうにもならないその感情のはけ口を「父親」という一点につめこんだカーン。でもキャシャーンが反撃に出て「許せなかったのは自分自身なんじゃないか!?」と問う。それに応えず空中戦しながらキャシャーンを振り払おうとする姿が、だんだん小さな子どもの駄々をこねてる様に見えてきて…わたしはここでカーンにめちゃくちゃ心を寄せてしまうのです。

子どもひとりで抱え込むには大きすぎた呪いを、誰かを恨むことでやりすごそうとした。けれどその相手へのもともとの想いを踏みつぶしてしまうことにもなって、より苦しい。

そりゃ駄々をこねたくなるよね。誰か何とかしてよって思いたくなるよね。はーーーーーーカーーーーンーーーーーーこたつで蜜柑と猫をあたえてえーーーーーーーー!!!!

 

「生きるとは自分だけの願いを持つということだ。どんなに小さくてもいい。僕の願いは、アボカドクリームパスタの味を知ることだ!」

そしてこのアニメの視聴者を飽きさせずスピーディーにかつ濃密に話を展開させるうえで上手なところ、戦闘と感情のやり取りとを分離させずに連動させて描くのが大好きなのですが、今回も戦闘の結末はこの名セリフによって決まったのでした。毎回名セリフがあるぞこのアニメ。脚本家さんの言葉選びが巧みすぎるよね。アボカドクリームパスタという単語で笑たちと食べていたシーンがぶわっとよみがえるし、そこがかけがえなく大切な居場所として感じていたのだということ、少年としての一途さが視聴者に叩き込まれて、もう呆然となるしかない。私はびょおびょお泣いていた。

 

「さっさと殺せ」と吐き捨てるカーンに、「また来る」と言うキャシャーンのセリフでもこみあげてくるものがある。

再来するときに改めてとどめを刺す、という意味にもとれるが、きっとそのとき彼はカーンと話をするのだろう。お互いの境遇のことか、はたまた他愛のないパスタの味のことか。いずれにしろ、キャシャーンにとってはカーンさえも「ヒーロー」として救うべき人々の一人に、あたりまえに含まれている。お前を見捨てない、遠ざけない。だからまた来る。

この短いセリフからも、キャシャーンの姿勢…恨みを持たず真っすぐにヒーローとしてみんなを救うという、ある種10代の少年らしさがのぞく純粋な願いが感じられるような気がして。そしてその言葉をかけられたカーンの気持ちを想像してまたおいおいと泣くのでした。

以上5話の感想でした。初見はジーンときただけだったのに、見直したときは自分でも引くほど泣いた。斉藤壮馬は最高。

 

 じゃあその、彼らが心の支えにし、かつどんなに踏みつぶされても手放すことのない「ヒーロー」って何を指してるの?という部分に次の6話で言及されるのが上手すぎて…もう…好き……。書く機会があれば備忘録としてとどめておくことにします。

 

ほんとInfini-T FORCEゲームにしてほしい。個人ルートでそれぞれ攻略したい。

アニメ:Infini-T FORCE 作品テーマと演技について

www.animatetimes.com

 

4話の感想書いてから上記のインタビューを読んだんですが、思ってたことが製作者側とバッチシ合ってたみたいでした。

テーマのこと、キャラクター同士の関係のこと。

演技的な話もあってとても読み応えある記事だったのでめもめも。記事から引用します。

 

「古臭いおじさん」について

関:世代的にヒーローはもうひとつ下の世代の後輩たちが演じるんじゃないかなと思っていたので、「悪者を取りに行った方がバランスいいかな」みたいな(笑)。

ただオーディションのときには監督の意図が分からなかったんですけど、改めて聞いてみると僕たちの世代で良かったのかなと思います。

茅野:どういう意図だったんですか?

関:クソ真面目なおじさんが若い子を説教する話を、真面目にやりたいと言っていたんです。


──熱い展開をストレートに描きたいと。

関:言っていることは今の時代からすると古めかしいかもしれないけど、そこに実直な気持ちが伝われば、若い子の気持ちも動かせるんじゃないかという狙いがあったみたいなので。

説教もそうなんだけど、和やかなやり取りの中にも過酷な戦いに身を投じていることがわかるセリフがあって、それがさらっと重みをもって語られるのは役者さんの年齢があってこそだなと思う。

たとえば教授のハロウィンパーティー中にあった「楽しんでいる人たちを見ていられるのは幸福だ」(うろおぼえ)とかに代表されるような、この世界に来るまでは遠いものだった平和や日常の幸せをしみじみと受け止めているときの演技は、やっぱり年齢も経験も積んだ役者の面々であるからこそなので、いいなあと思います。贅沢な作品だなあ。

でもさ、「おじさんが若い子を説教する話」とあるんですけど…最年長の健が24歳なんですけど……公式見てヒエッてなったよ…女子高生と7歳差なんですけど…?

原案イラストはまだわかるんだけどCGモデルはどう頑張ってもれっきとしたおじさんだよ!!!35歳だよ!

作品の面白さには関係ないので問題なしですけどね。うふふ…複雑…

 

演技について:”アニメっぽくない”理由

関:良くも悪くもですけど、声優さんって喋り口調がみんな似ているんですよ。アニメのキャラクターにあてることに慣れ過ぎているので、言葉をフィーチャーした喋り方になっているステレオタイプの方が多くて。

でもモーションを担当されている方や役者の方、スーツアクターの方は芝居がナチュラルなんです。今回は逆にアクターさんの芝居に寄せられたところもあるので、もしかすると我々の口調も他のアニメとは違うお芝居をしているかもしれません。


──モーションアクターの方の芝居を見てからアフレコに臨むため、リアルな人間の喋り方に近いと。

関:人って喋るときは意外と言葉を切らないんですよね。声優さんはセリフだと思うと切って喋ったり、単語を立てたりしちゃうんです。

でもアクターの方は、それらに囚われないでセリフを言ってくださるから、自然な人の話し方に寄せやすくて。尺も少しならズレても大丈夫だったので、自由度が高くて非常にやりやすかったと同時に新しさも感じました。

茅野:最初の数話だけは口元まで完成していたので合わせていたんですけど、それ以外は自由に演じさせていただきました。アクターさんのお芝居もすごい参考になって、そこからセリフのニュアンスをいただいたりもしました。

アクターさんの芝居に声を付けてる!これを知ったとき「完全にニチアサじゃん!」とはしゃいでしまった。だってヒーローですから!

話し方も大仰でなくて、相手を目の前にした囁くような声の演技が多くあったのもこの制作方法が理由だったんですね。ならば見てる側としてはアニメよりむしろ、特撮を見てる時に使う脳みその部分が反応しているのでは?ますますジャンルを超えて、実写畑の人にも見てもらいたいしアニメ畑の人にも見てもらいたい。

映画館で見る劇場版が楽しみになってきた。アクションが大迫力で観られるのはもちろん、ストーリーもしっとりと楽しめる期待が出てきた。

 

 

アニメ:Infini-T FORCE 4話「IMAGINARY FRIEND」テッカマン VS. ベル・リン 健と笑について

www.infini-tforce.com

プリパラに熱狂している私ですが、CGで大変お世話になっているタツノコプロアベンジャーズことフルCGアニメが始まるというので観始めました。

Infini-T FORCE、まず声優が面白い並びをしているところにも惹かれる。関さん櫻井さん鈴村さん、ヒーロー…というかめちゃくちゃニチアサの雰囲気が漂う3人じゃないですか。そこに斉藤壮馬くんが来る。そして敵側は平川さん花澤さん安元さん。平川さんと安元さんが敵側に回っているとわくわくするタイプですし、花澤さんがセクシータイプというのもなんだか新鮮。

ヒーローたちはそれぞれの世界から東京渋谷に来ている。元の世界でヒーローとして人々を守っていた点は同じだけど、そのポリシーやバックボーンは微妙に違っている。笑ちゃんに対しての接し方にもそれが反映されていて、彼女の生活に足りなかった家族の役割を少しずつ補いあっているように見える。彼女の心に水を与えていっているんだな。

そして観ていくと分かるんですけど、敵側も全然一枚岩じゃない。笑ちゃんパパのZのもとに集ってみんなでケースを手に入れるぞー!オー!だと思っていたのに、3人とも自分のため・自分が君臨する世界のためにしか行動しないせいで、個人的につっこんでいってやられる。いいのかそれで。後半で協力したりするんだろうか。

 

4話と5話のヒーローVS敵の対決、そしてそれと一緒に描かれる笑ちゃんとヒーロー個人の交流がとてもよかった…最高…

ベル・リンについて

花澤さんをいつまでも可憐な少女だけ演じる声優さんだと思っていると時々ぶん殴られる。今回はそのパターンである。ベル・リンさんは年齢不詳なお姉さんキャラなのだけど、花澤さんの声によってかわいらしさと年上っぽい深みが共存している結果、人外であるがゆえに人が良くわからないままに惹かれてしまう美しさが表現されている。すごい。妖艶さを表現する花澤さんにドキドキしてしまう。ベル・リンさんに首の骨折られたい。

もうひとつ彼女にぐっときたのは、人間の身体を模していたときはしなやかで柔らかな女性だったのに、戦闘モードがそれとは正反対の、多面体で構成されたようなパーツだったことです。プレステの初期のゲームに出てくるポリゴンで作った敵みたい!!!メタルギアソリッド1みたい!!アッ違う、カスタムロボだ!!!!!!と興奮しました。妖艶な女性型の敵が変形するとぬらぬらとした触手になることが多いような気がしてたので、普段の姿と正反対のアーマーで相手を殺しにかかるこのギャップになぜかとてもときめきました。

 

あとテッカマンの設定をよく知らないのですが、変身時の苦しみ方を見る限りではもしかしてとても身体に負荷がかかるのでしょうか…?痛みを耐えてでも、目の前の人を守るために戦うんですか。えっえっ、宇宙船でたった一人きりで救いを待っていたことといい、自分の境遇をことさらつらいとかさみしいとか言わないし変身に苦しむことも伝えてないし、もうばか!不器用!でもそれがヒーローたる宿命であり当然のこととか思っていそう。なんだか急にジョージへの好感度があがってきました。猫カフェとか行って癒されてほしい。商店街でやたらとおばちゃんにもててオマケたくさんもらっていてほしい。というかそんなこと言ったらヒーロー4人はみんな商店街のアイドルになりそうだ…。

 

「ひとはひとりでは生きられない」をどう伝えるか?

笑ちゃんは「自分なんてどうでもいい、放っておいて」と1話から繰り返し主張してきました。4話ではその点について大きく踏み込んで、しかもその表現が丁寧だったので、作品そのものについての評価も高くなってきました。

「どうしてひとはひとりでは生きられないのか」結構よく出てくる命題だけど、扱いが難しいよねこれ。今回はそのアンサーとして「みんなつながっているから、ひとりでは生きられない」という主張を選びました。この主張に賛成・反対かはさておき、作品全体のテーマになっているだろうこれをどれだけ説得力ある伝え方するか・そして映像として面白くするかって作品としての力量が試されるポイントですよね(上から目線)。これを戦いの中で、しかも2つの観点で対比しながら伝えてきたので、じょ、上手~~~!!!!と震えました。

 

「みんなつながっているから、ひとりでは生きられない」というふわふわした真理、つたないシナリオだったらきっとそのままセリフとして使われてしまう。しかしながらこの真理をそのまま話すだけじゃあまるで通用しない。セリフとして実感のあるものにしないといけない。その方策として敵であるベル・リンを前提として置いたのが上手。彼女と対峙するテッカマンは科学的な観点から彼女の主張を否定し、それを受けてガッチャマンは精神的な観点から笑ちゃんに語る。この部分のセリフたちがとても秀逸だったと思うのです。

具体的なシーンとして、セリフを抜粋しながら語ります。楽しくなってきたぞ。

 

ベル・リン「私はひとりで生きているわ」

テッカマン「それはただの傲慢だ!」

自分ひとりで生きている/生きられるから、自分のためだけの国を作り上げると語るベル・リン。その考えが間違っているというのは、テッカマンの言う通り筋が通っています。たったひとつの生命が他の生物を踏みにじってはいけないし、そもそもどの生物も繋がっているから、たったひとつの生命だけで生きることはできない。

 

 

健「一人で無茶をするな」

笑「わたしは自分を守ってほしいなんて思っていない、わたしなんてどうなったっていい」

 

一方笑ちゃんの主張に関して、観ている側は「まあ確かに個人の勝手だしなあ」「本人がそういうなら」とちょっと思ってしまうのではないだろうか。笑ちゃんが言ってることは寂しさの裏返しだとしても、この主張に対して「そんなことないよ」とだけ返事することのなんとむなしいことか!

脚本の上手なところはここなんですよね。ベル・リンの主張と笑ちゃんの主張は全然違うようでいて「他人をないがしろにしている」という点で根源的には同じだと繋げてきたのが妙手で、そして観ているわれわれに対しても「敵側には容易に反論できるのに、笑ちゃんの言ってることはわからんでもないんだよなあ」と気づかせて「じゃあどうこれに反論するのか?」と思わせてくれるまでが丁寧なんですよね。

 

健が叱咤します。

健「いいかげんにしろ!お前の命は、お前とかかわったひとたちみんなと繋がっているんだ。お前が死ねば、お前を大切に思っている人たちの思いも死ぬんだ。自分だけ満足ならいいなんて考えはやめろ」

笑「それがウザいの」

健「ウザくて結構だ!俺ももうお前の命とつながっているんだ、俺がお前がどう思っていようと、お前を守る」

「大切に思ってくれている人たちの思いも死ぬ」このセリフ単体でも結構イイなあ…と私なんかは思ってしまうのですが、笑ちゃんは思春期反抗期なのでそれこそ自分が望んだものじゃない、勝手にしろよと突っぱねる。それを受けてもなおウザく彼女を引き寄せる、でもこの返しは結局健もちょっとヤケになってて「勝手にしろ、俺も勝手にする!」というものなんだけど、それでも「笑ちゃんを放っておく」という選択肢は絶対ないんだという真っすぐな感情をひねくれものの彼女にぶつけているわけです。健、お前……もう…………パパみがすごい……

 

このセリフ自体をことばとしてもうちょっと考察すると、ウザいというかクサイセリフなんだよね。

今の時代真正面から真面目な顔で言われたら、フィクションだとしても笑ってしまう。真っ当で真っすぐで温かい言葉。これをもし教授やキャシャーンが言ったら、他の要素がどんなに上手に入っていても、観てる側としては感情移入できないと思う。だってキャラクターのバックボーンとして説得力がないから。

だからそれを言えるのは、スマホどころか携帯の操作もおぼつかない、「女なら料理の一つくらい」と皮肉なしで言えてしまう”古臭いタイプのおやじ”として描かれる健しかいない。「この人物ならこのセリフ言いそう」と納得できてしまう雰囲気が、3話までで構築されてるのは上手な脚本とキャラ設定だなあと思いました。

パパみについて、健はチーム内の立ち位置としても性格としても、笑ちゃんの父親代わりになっている。彼女が遊びに行くって告げても他のメンバーは用事をたずねない。”平成っぽい”他人の距離感だ。でも健は「どこに行くんだ」と気にかけるし、友達に冷たい態度を取っていたら「友達に対してその態度はないだろう」と叱る。彼はズカズカと笑ちゃんのパーソナルスペースに立ち入って関わろうとしてくる。いや、ほかの3人もそれぞれのやり方で温かく関わっているんだけど、健の関わり方は意識的に”昭和っぽく”描かれている。言ってることはとても真っ当なのだけど、最近聞かない言い回しだ。そのうち「おてんとさんが見てるじゃないか」とか言い出しそう。

笑ちゃんからすると自分の行動に対していちいち言われるからウザい。彼の言葉は彼女に親身になっているからこそ出てくるもので、これまでそんな言葉を本気でかけてくるひとがいなかったから素直に受け取る気持ちを知らない。でもどれだけ突っぱねても健が何度も何度も気持ちをぶつけてくるから、ふとした拍子に受け取ることができる。そうやってちょっとずつ笑ちゃんも自分や周りのことに素直になれたらいいなあ

 

アクションゲームでいいので出してください、そしてちょっとシミュレーション要素入れて個別ルートください!!!!!

 

 5話もまとめて書こうとしたのに、4話だけでだいぶ長くなった。記事分けます。

 

ハートネットTV:「歌舞伎町俳句一家・屍派」

 

年明けに「庫内灯 2」を読んだので、ツイートを見たそのままふらっとテレビのチャンネルを合わせてみた。

 

3次元の人間が映る番組は、スタジオ収録じゃないものを見る。ドキュメンタリーは変にうるさくないから好き。

 

番組内容としては、歌舞伎町の飲み屋の二階に集う人々とその俳句。

二階への階段、狭い踊り場に折り重なって積まれる靴靴靴。あっ革靴がつぶれている。目線の高さで靴たちを映し、それから舐め上げるようにカメラの視線が上がる。踊り場から一段上がって入った部屋で、疑わしげな視線と目が合う。狭い部屋にぎゅうぎゅうに入り込んだ人々。

 

この始まり方がなんとなく好きであった。

番組の中では「屍派」の俳句がいくつか紹介され、気になったものだけメモしていたので転載してみる。作者も一緒に載せられないのは申し訳ない。

君が死ぬ金魚じゃないから流せない

友達が成人式で荒れる系→親族が成人式で荒れる系

ウーロンハイたつた一人が愛せない

あとは会話の中で出てきた句の一部「圭太のくせに賢くね?」というのが変にツボに入ってしまった。「確かにけいた、って名前で賢いのに会ったことがない」「酒とバイクに詳しそう」名前だけで性格が決められてしまう圭太。

 

2017年は見られるものは積極的に見ていこうと思う。

自分の欲求を律儀に叶えることで幸福にしていくシステムを構築する。