たえてさくらのなかりせば

あなたに会わなければ私の心は平穏で退屈だったろうに。チクショーありがとう! という気持ちを書くところです。

映画感想大掃除2020(5本立て)

今年もぼちぼち映画を観ましたが、Twitterよりはもうすこし文字数多めに感想書きたいなと思いつつ、ちょっとタイミングが無くて置いていたものがいくつかあって、年末でやっと時間が取れたので記事にしてみました。
時系列順に並べてます。

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ニートエスティ 彼女達の選択

(2020年2月 2017イギリス)
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原題は"DISOBEDIENCE" =「不服従」。聞き慣れない単語ではあるし、女性ふたりが街や家族への関わり方を模索する物語だろうからこの邦題でいいかなと特に深く考えていなかった。
でも観終わったあとでは、逆に邦題が「女性ふたりの物語」を強調してしまったことで、この作品に欠かせなかったもうひとり、「不服従」を選んだ人物を覆ってしまうようでちょっと勿体ないなと感じた。

舞台はイギリスにある厳格なユダヤコミュニティ。ロニートレイチェル・ワイズ)は、父親が地域のラビ(宗教的指導者)であり、幼なじみエスティ(レイチェル・マクアダムス)との若き恋が赦されず、ひとりニューヨークへ飛び出したきり実家との連絡を絶っていた。
カメラマンとして自立したあるとき、父親が突然病死したと聞き、ロニートは帰郷する。再会したエスティは、次期ラビと噂されるもうひとりの幼なじみドヴィッドと夫婦になっていた・・・。

このイントロダクションを聞いて、おお女性ふたりの関係性ですなと鼻息荒くなったんだけど、この作品においては、ふたりが再会し燃え上がった恋情というのは、コミュニティが厳しくふたり(そしてもうひとり)を縛り付けていることを示すひとつの要素にすぎない。

このコミュニティでは宗教の教え、社会の規範・掟がすべて。女性は戒律を守り夫を支える子どもを産み育てることが役割。ちょっと夜道でイチャイチャしてるのが見つかるだけで次の日「おたくの教員がふしだらなんですけど!」とタレコミが入る社会です。神様からの戒律が苦しいのではなくて(戒律が元とはいえ、)周りの人間たちの目や口が、彼女達が自由に生きることを許さない。

ここからは後半のネタバレになるのですが。

思いを通じ合わせた後、エスティはロニートから「着いてきて」と駆け落ち同然のことを勧められるんだけど、すぐにはイエスと言わないのよね。
恋情のまま彼女について行っても、それは従う存在を宗教からロニートに替えるだけにすぎない。

エスティは「本当に自分は何をしたいのか」と考えはじめ、自由について考えて「自ら」行動し始める。そのうちのひとつが、夫ドヴィッドにロニートとの関係を暴露することだった。
「あっ自分から言っちゃうんだ」って意外だった。ドヴィッドはずいぶんショックを受けていたけど、*1エスティは愛さずとも彼を尊敬しているからこそ隠しておきたくなかったんだろう。

そしてまた、この暴露によって、ドヴィッドも深く迷い始める。次期ラビとして宗教コミュニティの中心に据えられることを、このまま受け入れて良いのか。若くして宗教指導者になれるということは出世の最高峰であるけれど、そこへ行ったらもう自分の自由意志は消えてしまう。男性であるドヴィッドもまた、このままではコミュニティに流されてしまう。

(略)そしてこの、彼のスピーチを見守る妻に「君も自由だよ」と叫ぶ。超正統派の人々の前で型破りなスピーチをするドヴィッドこそ、この作品の隠れた主役だ。
広瀬佳司(パンフレット内コラム)

一見すると間男と思われてしまうけれど、最後まで観ると物語におけるドヴィッドの重要性が大きくて、これを省いてしまった邦題の「女ふたり関係性感」はちょっとミスリーディングだよなあと。だからといって名前を3人並べろというわけでは無いんだけど。
この物語は、ロニートエスティとドヴィッド、同世代の3人がお互いに影響されて、コミュニティと改めて向き合い、信条や社会の掟とどう関わるのか考え行動する姿を描いている。
だから「彼女たちの愛がどこへ向かうか」が主題なのではなくて、「彼女達が自分の意思でどこを選ぶのか」が主題なのだと思った。

どんな場所に居ても、どんな外からの圧力があっても、心の中で「不服従」を選ぶことができれば、ひとはひととして生きられる。

神や世間や家族に魂のあちこちを掴まれているロニートエスティは、今にも抑圧に押しつぶされてしまいそうに弱く見える。けれど、それでも服従しないことを選ぶことができるのが、人の人たるゆえんで、強さなのだ。
(中略)
そんな中で、80年代の終わりにヒットしたThe Cureのその名も「Love Song」だけが場違いなほど高らかに鳴り響く。君といるときだけ故郷にいる気分になれる。どんなに遠く離れても愛している・・・・・・という歌。神様が本当に人間を創造したのかどうかは知らないけれど、人間は愛を歌うことができる。
王谷 晶(パンフレット内コラム)

最後の方で、ドヴィッドがロニートエスティふたりをいっぺんに抱きしめて、ふたりも一緒に抱きしめ返すシーンがあって、すごくいい画だった。立場や考え方は変わってしまっても、同じ時間を過ごしてきたお互いを思いやりたい、選択を尊重したいという幼なじみ3人の気持ちが伝わるいい姿だった。

あっベッドシーンは猥雑で良かったです。*2
大好きな「キャロル」は逃避行のさなか、音楽も乗ってとてもロマンチックに描かれていたけど、こちらはほぼ無言でお互いの欲望をぶつけ合う。無機質なビジネスホテルの白いシーツが猥雑に乱れるのが逆にセクシー。というかマクアダムスのお顔マジうつくしい。人妻のいけなさが、どうにも、どうにも。


あと感想書くためにパンフ読み返したら最初の見開きページに「美しき純愛」がバーンと大きな文字で来てたんですけど、ちょっとさすがに別の紹介文無いのかよと思った。
特別な間柄で交わされる感情を美しいとか他人が評するのはもう難しいと思うし宣伝でそういった言葉を使われてもふーんとなってしまう。純愛ってなんだよ。

ハーレイ・クインの覚醒 BIRDS OF PREY

(2020年3月 2020年アメリカ)
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原題は「Birds of Prey (and the Fantabulous Emancipation of One Harley Quinn)」「バーズオブプレイ(と、とあるハーレイ・クインの素晴らしき解放)」長い、けど好きな感じのタイトルなんですけどね、公開後検索性が悪いからって米国ではタイトルを短くしちゃったみたいですね。気持ちは分かるが勿体ない。
『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』米国でタイトル変更の動き ─ 複雑な原題、SEO対策にも | THE RIVER

いや~~~~よかった~~お互い悪態つきながら一緒に戦う、ろくでもない女たちのドンパチムービー!所謂ポップコーンムービーと呼ぶようなくだらなくてスカッとして「あー面白かった」しか残らない映画。
映画館を出た後でいろいろ残って考える映画も大好きですよ、でもね、女たちが出る映画が「考えさせられる」もっと言えば「高尚な」作品ではなくてはいけないと誰が決めた。

特に言及されないけど、ハーレイが劇中でつぎつぎ靴を(盗んで)履き替えていくんですよね。どの靴もかわいくてついつい眺めてたんだけど、時に女にとって、靴って否応なく役割を示されたり窮屈なもので。
それを惜しげも無く脱ぎ捨て、気分次第で新しく掴み、また放り投げる。最後には走るために裸足になって。
ハーレイははじめジョーカーにべた惚れで、振られた後まともな生活ができないくらい落ち込んでいたんですが、逆に解放されたと気持ちを切り替えて、自由になって好き勝手やり始めるんですよ。そのストーリー構成とハーレイの気ままさが足元に表れているんだなあと思いました。
ハーレイの、善にも悪にも定まらない自由さがとても魅力的で、良いキャラだなあと。キラキラメイクがかわいいのよ。
この世には光も闇も無いんですよ。聞いているかNo.6*3

時期が悪かったので映画館で観た方も少ないとは思うんだけど、ロードショーでも全然大丈夫な内容だし、基本スカッとするので地上派とかで流して欲しいなあ。

ダンサー そして私たちは踊った

(2020年3月 2019年スウェーデンジョージア・フランス)
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ジョージアには伝統と国民性の規範とされる3つのものがあります。
教会、多声音楽、そして民族舞踊です。
(略)
私はたくさんのダンサーに取材をし、ジョージアのダンス界に保守的で厳格なジェンダー規範があることを聞きました。そこでストーリーの舞台をダンス界にしたのです。
ジョージア舞踊は”古さ”を象徴し、ふたりのダンサーの間に芽生える愛は”新しさ”を象徴するものです。
(略)
若いLGBT+の人々の苦難のストーリーを語りながらも、その背景にあるジョージアの歴史や現在の状況を見せたいと思いました。
この映画は、あまり知られていない地域を舞台にした興味深い作品というだけでなく、自由であることの大切さが描かれています。
(パンフレット内 レヴァン・アキン監督コメント)

力強くアクロバティックなジョージア舞踊の映像に惹かれて観た作品。遠くよく知らない国という印象だったジョージア(旧表記グルジア)の古くから続く美しい町並みや若者の暮らし、そしてその文化から強いられる規範を知る機会になった。ジョージア語の耳に新しい発音は新鮮だった。

主人公のメラブ(レヴァン・ゲルバヒアニ)は国立舞踊団に所属し、幼なじみのマリとダンスパートナーを組んでトレーニングに明け暮れている。ある日圧倒的なダンスの技術と魅力を備えたイラクリが舞踊団に現れ、オーディションのための練習を共に行いながらメラブはだんだんと彼に惹かれていく。

メラブとイラクリの恋愛を発端に、ジョージアで「男らしさ」「女らしさ」から抜け出すことの困難さが次々と描かれる。メラブが伝統的で美しい舞踊だけではなく、自分の感情を爆発させるようなでたらめな踊りをして、審査員から冷ややかな目を向けられる後半のシーンも象徴的だ。
実際の撮影中も邪魔が入ったり、同性同士の恋愛が描かれていることを理由にジョージア正教会から上映中止を求められたり、困難が伴ったことがパンフレットで明かされている。

受け継がれてきた踊りや音楽は今なお美しい。暮らしを守るためには、これまで積み重ねてきた規範にもちゃんと意味がある。
けれど、なにか新しいことを選ぶひとへ呪縛になってしまう規範や伝統は、保つだけでは無くて緩やかな選択肢を許すようにならないだろうか。


3月。幸運にも近場の映画館でやってくれたから観られたけど、本当だったらいろんなミニシアターでちょこちょこやって欲しいな。満員は望まないけど、広く広く伝わって欲しい。
秋頃よく似た衣装を着た人々のダンス映像がバズっていたので、豪快に音を立てて着地する独特のダンスに見覚えある人もいるんじゃないだろうか。

メラブを演じたレヴァン氏は本業がダンサーなんだけど、とにかく踊りが美しい。顔が少年のようであどけないながら、衣装を脱いだ後の身体がグッと色っぽくていい。

あとポスターのこの印象的なポーズを撮る瞬間をみんな観て。こんな伸びやかで力強い反り返り!!美しい。どんな筋肉してるの。
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博士と狂人

(2020年11月 2018年イギリス・アイルランド・フランス・アイスランド
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オックスフォード大英辞典を編纂するお話。ベストセラーのノンフィクションを基に、メル・ギブソンが構想20年で監督・主演を務めた作品。

辞書を作るお話といえば邦画・三浦しをん原作『舟を編む』がありますが、あれは既にある辞書の改稿、追加のお話ですね。
あれも10年単位の大きな仕事を描いているのですが、対してこれは「今使っている言葉が全部入っている辞書をゼロから単語を集めて作ろう、しかもシェイクスピア以前から現代まで語源や用例変化もまるっと入れよう」という、途方も無い規模のプロジェクトなワケです。ゴールへの道のりが遠すぎる。

わたしは推している辞書と辞書編纂者がおりまして。新明解国語辞典を編纂されている飯間浩明氏です。*4辞書関連・ことば関連メディアにもよく出演される方で、なにを隠そう『舟を編む』では監修を務められ、この『博士と狂人』ではパンフレットに辞書編纂の内容について寄稿したりPRイベントに出演されたりしています。


その流れから興味を持って観に行ったのですが、時間もお金もかけられた作品だけあって、お話も、19世紀の建物たちをまるっとセットで作り込んだ映像も、壮大なテーマが何度も使われる音楽も、どれもよかったねえ・・・。足を伸ばして観に行った甲斐があった。
ただ、のちにパンフレットなど読んで知ったのですが、この作品は撮影時に制作会社とメルギブソンたちが揉めたことをきっかけに裁判が起き、またメルギブソン自身が元々暴力問題を起こしていることなどが要因でアメリカ本国での関心と評価が低いんですね。見終わって満足感が高かっただけに、こう外部要因が多いと勿体ない気持ちになる。

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"THE PROFESSOR and THE MADMAN"
このタイトルを回収するシーンが良いんですよ。
辞書編纂を主導するマレー(メル・ギブソン)と精神錯乱のために殺人を起こし精神病院に居るマイナー(ショーン・ペン)。
素直に考えれば「博士」がマレーで「狂人」がマイナー、なのだけど、一方で私財と時間を投げ打ち長年の夢であった辞書編纂に没頭するマレーは、しばしば作中で変人扱いを受けるし*5、マイナーは精神が落ち着いているときは軍医であったときの判断力や技術を活かして看守の命を救い、また恐るべき知識量と聡明さで、獄中から辞書のための単語をマレーに差し入れる。そしてマレーは独学で14の言語を学んだ(!)ために辞書編纂者に抜擢されながら未だ学位を持たず、マイナーは逆に医学博士としての過去がある。

博士と狂人が重ね合わさったふたりが、恐るべき偶然によって出逢い、ことばを求める喜びを共有する。ようやく正体を知り直接話すことが叶ったふたりは、「言語オタクしか分からない難解珍単語」のキャッチボールして散々キャッキャウフフしたあと、「賢者と狂人、どちらがどちらだ」と冗談を言う。ここ!!!めーっちゃ幸福!!!

自分の積み重ねてきた知識をいくらでも受け止めてくれて、かつ同じだけの知識量を傾けてくれる相手は、接する時間の多寡関係なく、もう生涯の友ですよ。それに出逢った喜びが、あのシーンには溢れている。*6

辞書が無事完成するのか、また2人の友人の行く末がどうなるのか、最後まで見届けると満足感の高い内容でした。

仕事に没頭する話って家族を置き去りにして不和になるパターンあるあるだけど、この作品ではそんなことも無く、マレーを愛情深く見守る奥さんもめちゃかわだったのだよな・・・。クリスマスの夜まで辞書づくり用のほったて小屋に籠もるマレーに怒るのでは無くて、窓に雪ぶつけて「雪合戦しようぜ!」って子どもと駆け込んでくるところとてもユーモアが感じられた・・・。

19世紀イギリスの町並みも衣装もみんな素敵だった、フロックコートやらドレスやら・・・眼福でした。


(おまけ)鬼滅の刃 無限列車編

(2020年10月)
いやあ~~気持ちよかったですね。何が?平川大輔石田彰さんの声を2時間聞いたことですよ。5万円くらいの価値がある。

うっとり、耽溺、不気味、甘やかすような優しい声、これらは平川さんの十八番だと思ってるし平川さんにいちばんやって欲しい声。多分平川さんは日本で一番「色欲」と名の付く役をやっていると思う。
サディスティックに相手をいたぶる快楽に、思いっきり身を委ねて愉悦に浸るキャラクター。平川さんの右に出るものはない、と思うくらいそのテのお芝居がとても上手い。サド演技って、うわべだけをなぞってしまうとちょっと心が離れてしまうのだけど、平川さんの声は、もうとにかく技術の塊。けだるい囁きから、相手を陥れる快楽をひたひたと楽しみ、やがて来る歓喜の瞬間に上擦った声、相手を惑わす声音。

でも演じている役は多いにも関わらず、ひとつの作品から少ししか聞けないんですよ*7。つまり贅沢、いわばトロ。

そのトロを、1時間以上もたっっっっぷり聞けたわけなんですよ。港仕込みのデカ盛り海鮮丼ですよ。ありがとう鬼滅。アニメ最終回から楽しみにしててよかった。

ねんねんころり、こんころり…鬼がいようとこんころり」とか「もう起きちゃったの?まだ寝ててもよかったのにぃ」とか、饜夢のセリフで就寝前・起床時になるアラームが欲しい。聞いて仕事行きたくなくなりたい・・・・・・。
ゆっくりねちっこく話すのすごくよかったね・・・5年分くらい平川さん成分吸収した。

列車が止まった辺りで「あー堪能した、よかったありがとうアニプレックス」と拝んでいたのに、そこからまだおかわりが来るなんて、なんて。
アニメあるある、声優好きあるあるといいますか、キャストを知らない状態で第一声を聞いて「アッこの声聞いたことある!誰だ!」って海馬の中すごい勢いで検索している瞬間は、シナプスばちばちに信号通ってる感覚がして生きてるって感じ。
まさに、猗窩座が喋った瞬間脳内ばちばちでしたね。遠い昔に聞いたことがある、高いトーンなのに深みがあり朗らかながら奥に寒々しい空洞がある声。
次で石田彰だと分かったときはもう、気絶するかと思った。いっぱい喋る平川大輔の次にいっぱい喋る石田彰?!??!大トロ海鮮丼食べた後にウニといくらが「はいどーんどん♪」って盛られたようなもんですよ。痛風になってまう。
ほんと・・・よかったですね・・・ゲストに惜しみなくベテラン声優を持ってくるの、アニメーションの重さに合ったお芝居を乗せてくれる信頼がある。

あと饜夢に従っていた子どもの中で、結核にかかっていた子の江口拓也さんのお芝居良かったです。叫んだりクールな演技多かったりなイメージ強い江口さんだけど、人生に絶望してぼそぼそと話す演技好き。

あ、あとやっと声の感想から離れますが、最後に炭次郎たちがぼろぼろワンワン泣くのが結構意外で、かつとても良いなと思って。珍しくない?歳の大きい男の子が外であんなに泣く描写。
大人も子どもも男女も関係なく、泣くときは泣く。すぐには受け止められないことを、とりあえずはみんなで寄り集まって泣く。
普通の人より遙かに強い彼らでも人前で泣くよ。と描いていたのはいいなーと思った。

高校の古典の先生が「平安時代の男は良く泣いたんですよォ!綺麗な風景見たり恋愛のことですぐ泣いた!『男泣き』という言葉もありますからねぇ」と授業中に言っていたのを思い出した。男は我慢して耐え抜く、というのは戦時中の教育結果とも。
もしキッズが「炭次郎はすぐ泣いて弱いな」と思ったとしても、これを当たり前だと思ってくれて、のちのち苦しいことがあったとき、炭次郎を思い出して周りの人と分かち合い生き延びてくれればいいなあと、架空のキッズを思ったりもした。

2020年劇場で観たかった作品

  • ジョジョ・ラビット
  • はちどり
  • カセットテープ・ダイアリーズ
  • グッバイ、リチャード!
  • 幸せへの回り道
  • スパイの妻
  • ウルフウォーカー
  • 燃ゆる女の肖像
  • 魔女がいっぱい

結構見逃したな・・・。何かの機会に追いかけようと思うので備忘録的にメモ。

漫画のジャケ買いの感覚で映画を観に行くので、ポスターとあらすじだけでわざわざ足を伸ばして遠くの映画館まで行くことも(普段は)苦では無いんですが、ポスターがシンプル・人物がふたり並んでいると興味が湧く、という自分の傾向にぼちぼち気づきました。


年内はあとはどうだろう、今年はハーレイから始まりワンダーウーマンで終わる年、という気持ちになりたいから1984も観に行きたいのだけど150分あるんだよな・・・。仕事始めまでにチャレンジしようかな。

来年もぼちぼち感想が書けたら良いですね。

*1:次期ラビ候補になるんだから彼は敬虔な信者なのだし

*2:鼻息荒くして観に行ったのでなんだかんだ言及する

*3:ウルトラギャラクシーファイト大いなる陰謀をよろしくお願いします

*4:好きポイントは語ると長いので割愛。Twitterを駆使して語収集を盛んにされていて、読んでいると語彙への興味がむくむく刺激されます

*5:スコットランド生まれだったためにオックスフォード大学の同僚から田舎者扱いをされる

*6:俗的に解説すると、いい年したイケオジふたりが公園のベンチで周りを置き去りにするオタク話早口でかまして「オレらめっっっっちゃオタクだな!!!!!」って笑い合っているのですよ

*7:どSとかフェチキャラとかもそうなんですが、言葉責めする役って作者の語彙に性能が左右されてしまう。セリフがついテンプレ化しがちで、それを防ぐためにすぐに退場したりデレてキャラ変したりする。